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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2015.11.27
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カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日は横浜の「Umiの家」というところで、気質の講座をやってきました。

「Umiの家」では毎月私の講座をやっています。ただ、毎月テーマが違います。ご興味のある方は「Umiの家」のホームページをご覧になってください。他にもいろいろ、妊婦さんやお母さん向けの講座をやっています。(横浜駅から徒歩10分ぐらいです)

昨日のテーマは「気質」だったのですが、実際には「子どもとはどういう生き物なのか」とか「子どもとのかかわり方」というものが話の中心になりました。

それは、講座の初めに皆さんの参加動機を聞いたら、参加者が聞きたいと思っていることのほとんどが、「気質」の問題ではなく、「子どもの特性」の問題だったからです。

子どもの状態は大きく二つの要素によって決まってきます。

それは「年齢」と「気質」です。

でも、「気質」の影響が大きくなり、それが「子育ての問題」とつながってくるのは大体、子どもが4、5才ぐらいになってからです。

「気質」は「対人関係」の中で現れやすいので、子どもを理解する上で「気質」が大きな要素になってくるのは、子どもが仲間と遊び始めるようになってからなんです。

でも、昨日の参加者のお子さんたちはみんな1~2才前後でした。
そのため、その問題のほとんどが「気質」によるものではなく「年齢」によるものだったのです。

子どもは大人とは違う感覚や、思考方法や、行動様式や、生態を持っています。
やがて、大人と同じように考え、感じ、行動するようにはなりますが、でも、子どもの時には大人とは違う生き物なんです。

「オタマジャクシ」と「カエル」とでは生態的に全然違う生き物でしょう。
「イモムシ」と「蝶」も同じです。

それくらい違うのです。

人間の子どもの場合は、見かけ的には人間の大人とそう違いませんが、中身はこれらの生き物と同じように大きく違うのです。

でも、その理解がほとんどの大人にありません。だから、子育てでも教育でもおかしなことになってしまっているのです。

さらに、0才児と1歳児も、1才児と2才児も、2才児と3才児も異なります。

その大きな変化は7才頃に現れるのですが、子どもは成長が一段落する20才前後まではその意識も、心も、からだもどんどん変化しているのです。

特に、3才前の子と、3才後の子は大きく違います。
7才前の子と、7才以降の子も大きく違います。
9才前の子と、9才以降の子も大きく違います。

この境界線を越えてしまうと別の生き物になってしまうのです。

(子どもの成長は個人差が大きいので、これらの年齢は大きな目安程度に受け取ってください。)

そして、子どもの年齢が下がるほど、大人には理解しがたい状態になっていきます。

大体の子は、3才ごろになると普通に言葉を話すことが出来るようになるため、大人は「ようやく大人と同じように考え、感じることが出来るようになった」と思い込み、大人の論理や感覚で子どもと接するようになってしまいますが、それは全くの勘違いなんです。

例えば、子どもに「約束よ、分かった?」と言えば子どもは「分かった」と返事をします。

でも、分かってなんかいません。それはお母さんがしょっちゅう体験している通りです。

それでお母さんは「嘘をついた」と怒り出すのですが、子どもは嘘をついたわけではないのです。

子どもは「分かった?」と聞かれたら「分かった」と答える生き物なんです。それだけのことです。

こういう時、子どもはお母さんの言葉を繰り返すだけなんです。

子どもはいつでも「お母さんが聞きたい言葉」を返してくるのです。なぜなら、そうするとお母さんが喜ぶからです。

「ゴメンナサイ」も同じです。

お母さんが「ゴメンナサイを言いなさい」と言えば、子どもは「ゴメンナサイ」を言います。でも、そこに「謝る気持ち」は全く含まれていません。
そういうように言わないとお母さんが受け入れてくれないから言っているだけです。

そのような「しつけ」を繰り返しているうちに、子どもの中で「ゴメンナサイ」が一つの「免罪符」のようなものになっていきます。

悪いことをしても「ゴメンナサイ」と言えば、チャラになると思い込んでしまうのです。
そこに罪悪感はありません。

そのため、大人が叱ると「ぼく、もうゴメンナサイしたからいいでしょ」と言います。そして同じことを繰り返します。

以前、「ゴメンネと言ってから他の子をぶつ子がいる」という話を聞いたことがあります。
そして、叱ると、「ぼくゴメンネを言ったからいいんでしょ」と言い返すそうです。

そこには大人には理解できない「子どもの論理」があるのです。

<続きます>

このようなことを知らないまま子育てをして、「苦しい子育て」をしているお母さんがいっぱいいます。

このような子育てでは、お母さんも苦しいですが、子どもも苦しいのです。そして、子どもの時に植え付けられた苦しみは一生続きます。

ですから、このような話を、もっと多くのお母さんたちに伝えたいと思っています。
幼稚園やグループで呼んでいただけると幸いです。





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Last updated  2015.11.27 09:16:05
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