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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2016.05.08
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カテゴリ:カテゴリ未分類
はれるやさんから以下のようなコメントを頂きました。

でも、モンテッソーリ教育の目的は「自立」(周囲の人や物と安定した関係を保てる事)です。
大切にされているのは、子供の観察と実体験。
教具をつかったお仕事もありますが、日常生活の自立(お手伝い)を基本としています。

また、早期教育と勘違いされやすいですが、こどもの「自発性」を大事にしているので、何かを「教える」ということもありません。(教えない、でも放置しない)
子供を観察して、その子が必要としている環境(自発的に学べる)を整えますが、要な時期は1人1人違うので、例えば文字も、3歳で学ぶ子も5歳で学ぶ子もいます。

五感を刺激する感覚教育が行いますが、それは能力開発などが目的ではなく、世界と繋がるための文化教育をより深く理解するために必要だからです。
(文化教育では地球の事、世界の事を感覚を通して学んでいきます。)

モンテッソーリは、「平和のために教育を!」と訴えており、
子どもたちが「人間も他の生き物も、地球にすむ一員で、かけがえのない仲間」という視点を持ち大人になることで平和社会へつながることを願っていました。


それに対して、私は以下のような返事を出させて頂いたのですが、本文の方でも少し補足をしておきます。

私は「幼稚園のあり方」ではなく「子育てのあり方」を考えるために書いています。

「先生と生徒」という関係と、「お母さんと子ども」という関係では関わり方が違います。

モンテッソーリ教育は「先生と生徒」という関係が強い感じがしますが、シュタイナー教育の方は「お母さんと子ども」的な要素が強い関わり方をします。

ですから、シュタイナー的な関わり合いは、日常的な子育ての場にも取り入れることが出来ますが、モンテッソーリ教育の方はモンテッソーリ幼稚園の中の方が効果的に働くと思います。

それと、子どもは観察されることを求めてはいません。
子どもが求めているのは共感です。

幼児期の子ども自身は自立を求めていません。
子どもに自立を求めているのは大人の方です。

確かに子どもの成長にとってこのようなことは非常に大切ですが、私が言いたいのは、このようなことは子どもの内側の成長に伴って自ずから形になっていくものであって、大人の役割は、その内側の育ちを支えることなのではないか、ということです。



最初にちょっと書いておきますが、私は「シュタイナー教育が一番素晴らしくて、他の教育法はそれに劣る」という事を書いているわけでも、そのように思っているわけでもありません。

単にそれぞれの特色を書いただけです。

宗教にも様々な宗教がありますが、「どれが正しい」ということではありません。

人の心や悩みや苦しみは一人一人違うので、それに合わせた宗教が生まれてきたに過ぎません。

教育方法もまた同じです。

その方法を必要とする人や状況があったから、その方法が生まれてきたのです。

モンテッソーリ教育の場合は、「一人前の社会人を育てる」ということを大切にしているような気がします。

もちろん、それはそれで大切なことです。

でも、社会人としての能力を育てるためには、社会の中での学びが必要になります。

そのため、モンテッソーリ幼稚園では幼稚園の子どもたちで一つの社会を形成しています。
だから社会人としての学びが可能になるのです。

茅ヶ崎にもモンテッソーリ幼稚園があります。
もう30年以上も前のことですが、そこの園長先生が勉強会の仲間だったので、見学に行ったことがあります。

(その勉強会では、幼稚園、保育園の園長先生や、子どものための活動をしているお母さん達が集まって、フレーベル、シュタイナー、モンテッソーリの勉強をしていました。)

そして、子どもたちがあまりにもちゃんとしているので驚きました。
大声を出して騒ぐ子もいなければ、オモチャなどもちゃんと整理され、もちろんゴミも落ちていません。

給食の時もみんなで助け合って整然と作業をしていました。

普通の幼稚園でよく見ることが出来る、大騒ぎしている子も、走り回っている子も、ケンカしている子も、好き勝手に行動している子もいませんでした。

だからといって、先生が大声で怒鳴ったり指示を出しているわけでもありません。
厳しく接しているわけでもありません。先生達は優しそうでした。

子どもたちがみんな自分の判断で動いているのです。

そこには、大人が求める理想的な子どもの姿がありました。

でも、私はその姿に強い違和感を感じました。
いい悪いの話ではなく、「私の価値観には合わないな」と感じたのです。

それに、そのような教育が可能になるのは幼稚園のような大勢の子どもたちがいる場に限られます。

大勢子どもがいる場だからこそ、「社会人としての教育」が可能になるのです。

ですから、モンテッソーリ教育がどんなに素晴らしくても、お母さんと子どもしかいない家庭の中や子育ての場ではそれを行うことは出来ません。

また、やるべきではないと思います。

なぜなら、「お母さん」と「子ども」の関係が、「先生」と「生徒」の関係になってしまうからです。

それに、子どもは体験を通してしか学ぶことが出来ないので、言葉で説明しても分かりません。

ルールを守ることの大切さは、仲間がいる場でないと教えようがないのです。

また、それが子育ての目的でもないし、子どもがお母さんに求めていることでも、子どもの心の育ちに必要なことでもありません。

子育ての場ではお母さんにしか出来ないことがあるのです。


モンテッソーリ教育は父親的で、シュタイナー教育は母親的な教育法と言えるかも知れません。

子どもの育ちには両方の要素が必要ですが、幼児期の子どもや、家庭の中での子育ての場では「母親的な関わり方」の方が必要な気がします。

私が言いたいのはそういうことです。





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Last updated  2016.05.08 08:35:09
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