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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2017.02.26
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カテゴリ:カテゴリ未分類
昨日、iokazu-chi さんが

私の周りに限ってかもしれませんが、自然と関わるのが良い!と思い、野外保育に参加したり、自主保育グループを立ち上げているママさん達にこそ、「子どもは子どもらしく」のびのび育てたいからと、何をやっても止めない、相手に謝罪もない人が多いです。
野外保育での鉄則として、「口だしはしない」などの方針を持たれているところが多いようですが、そういう場での口だししないということと、社会の中や公共の場でのルールなども何も教えない、ということを履き違えてるのではないかと感じます。


とコメントを入れて下さいました。

私もこのような話は時々聞きます。
また、「我が子がいじめられていても助けに行ってはいけないと言われるのですが、見ていて苦しくて苦しくて、どうしたらいいのでしょうか」という質問も何回か受けたことがあります。

確かに、昔の子どもたちは子どもたちだけで群れて遊んでいました。
ケンカが起きても自分たちで解決していました。
遊びも自分たちで工夫していました。

そして、仲間とのそういう遊びや関わり合いを通して、社会性や、想像力や、創造性や、自立心を育てていました。

私もそういう群れの中で育ちました。

でも、現代の子どもたちの多くは、人工的な機器や、人工的なオモチャや、大人が管理している人工的な環境だけを与えられ、大人の管理下で、子ども同士のつながりによってではなく大人の指示に従う形でしか遊ぶことが出来なくなってしまっています。

そのため、社会性や、想像力や、創造性や、自立心が育ちにくくなってしまっています。
「助け合う心」や「思いやりの心」も育ちにくくなっています。

実際、現代の子どもたちは昔の子どもに比べてずーっと依存心が強いように感じます。

ゲーム機やスマホなどに対する依存、便利な機械に対する依存、お金に対する依存、大人に対する依存、マニュアル的なものに対する依存などが強い子が、今では「普通の子」になってしまっています。

でも、今では大人もまた同じような状態なので、それを問題に感じる人は多くありません。

そのような状況の中で、その状態に違和感を感じ、「これではいけない」と、昔のように子どもの群れを作って、自然の中で、子どもたちの力だけで遊ばせようとする人達もいます。

当然、そのような人達が作るグループでは、極力、大人は子どもの活動に手や口を出さないようにしています。

それでも、最近のお母さん達は「見守る」のが苦手なので、すぐ手や口を出したくなってしまいます。でも、それを許していたら、会の趣旨が崩れてしまうので「大人は手や口を出してはいけない」という「決まり」が必要になります。

本当は状況に応じて臨機応変に考えればいいのですが、普通のお母さん達が集まって作ったグループには「名義的なリーダー」や「古株のリーダー」はいても、お母さん達を指導できる「専門知識を持ったリーダー」がいないため、その判断を下すことが出来ません。

そのため、「決まり」は「絶対」になり、活動は形式的になります。
そして、お互いに「決まり」で束縛し合うようになります。

ただし、専門知識を持ったリーダーがいる場合でも、その人が専門知識に束縛された考え方しか出来ない人だと、同じような状態になります。

それが行き過ぎると、お母さん達同士の「仲間としてのつながり」が脆くなります。
胆汁質が強い人だけが強い力を持つようになります。
大人と子どもの自然な関わり合いも出来なくなります。

そして子どもたちもお母さん達と同じようにバラバラな状態になります。
「子どもたちの状態」は「お母さん達の状態」の鏡だからです。

実は、お母さん達同士が仲間としてお互いに信頼し合い、助け合っていれば、子どもたちも仲間と同じようなつながりを作ることが出来のです。
子どもは親を見て、親を模倣して育つからです。
「決まり」では子どもは育たないのです。

でも、それが難しいのです。
なぜなら、お母さん達もまた「群れ」の体験がない世代だからです。
だから、「決まり」がない状態でどうつながり合ったらいいのかが分からないのです。
また、「決まり」がないと、平気で、自分の趣味や、主義や、主張を優先してしまう人も結構います。

ゃあどうしたらいいのかということですが、実は、専門的な知識を持ったリーダーがいないようなグループでは、保育園や幼稚園のように大人と子どもを明確に分けない方がいいのです。
難しいことを考えずに、大人も子どもも交ざって、昔の大家族のような感覚で一緒に遊べばいいのです。

(それもまた難しいでしょうけど、大人が先ず「群れる楽しさ」を感じることが出来るようにならないと、子どもにそれを伝えることは出来ないのです。ただし、「群れる」とは「みんな同じ」になることではありません。自分が自分らしくいてもつながりと居場所がある状態です。)

以前伺った関西の方のグループはそんな感じでした。

お母さんは我が子も他の子も同じように接します。
叱るときにはよその子でも我が子と同じように叱ります。抱きしめるときも同じです。

子どももまた、自分のお母さんも他のお母さんも同じように接します。
うちの幼児教室もそんな雰囲気ですが、自分のお母さんには寄りつかずに、別のお母さんにばかりくっついている子もいます。

親と子というセットが解体し、「群れ」という状態になっているのです。
そして、その「群れ」の体験があるから、成長と共に、子どもたちだけでも「群れ」を作ることが出来るようになるのです。

ただ大勢の子どもが一緒にいるだけでは「群れ」ではないのです。

確かに、子どもの育ちに「自然」や、「仲間との群れの体験」は必要ですが、それ以前に「親や親以外の大人との色々な場面での多様な関わり合いの体験」が必要なんです。

それがないと、子どもたちは群れて遊ぶことができないのです。

「遊び」も「群れ」も「文化」なので大人との関わり合いを通して伝えるしかないのです。

実は、「群れの消滅」と、「大人との関わり合いの消滅」はリンクしているのです。


また、昔の子どもの「群れ」は、大人が作ったものではなく、子どもから子どもへと何世代にも亘って受け継がれてきた自然発生的な集団でした。

成り立ち自体が、大人が子どもを集めて作った人工的な集団とは本質的に異なっているのです。

昔の「群れ」には「遊び」という「つなぐもの」があり、「リーダー」もいました。
そのリーダーは小学校高学年から中学生ぐらいでした。ですから、「大人のルール」を小さな子どもたちに教えることも出来ました。

それに対して、共同保育のような場の子どもたちはみんな「幼児」です。異年齢のグループだとはいっても実際には「異年齢」と呼べるほどの年齢差はありません。

基本的な価値観も同じです。やっていいこととやってはいけないことも分かりません。

だからこそ、「大人がどう関わるのか」ということが大事な問題になるのです。

子どもを子どもだけで集めて生活させても、それだけでは人間らしい人間には育たないのです。





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Last updated  2017.02.26 17:16:40
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