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「第六感」などというと、なんだか非科学的で、胡散臭くて、オカルト的な感じになってしまいますが、人間には「五感」を超えた感覚があるのは確かなことです。
ではどうして、まともに扱われないのかというと、「第六感」には科学的な根拠も客観性もないからなのでしょう。 (最近は科学的にも第六感の存在が証明され始めていますけどね。) でも、本当は「五感」にも客観性などないのです。 人はみな他の人も自分と同じものを見て、同じ音を聞いていると思っていますが、実はそれは思い込みに過ぎません。 人に何かを見せて、「自分が見たものに」について記述させれば、みんな違うことを書きます。 動物園に象を見に行った人に「何を見てきた」と聞けば、「象」と答えるでしょう。でもそれはその動物の名前であって、「その人が見たもの」ではありません。 実際、その人達に「自分が見てきたもの」の絵を描かせると、みんな違った絵を描きます。それでも「象」くらいならみんなよく知っている動物だから、形に関する知識もあるので、「みんなが知っている象」の絵を描くことも出来るでしょうが、みんなが「初めて見るもの」を見たのなら、一人一人全く違った絵になるはずです。 「音」も同じです。 同じ音を聞かせてそれを絵に描かせてみると、みんな違った「音」の絵を描くのです。 これは気質も関係していて、胆汁質の人にはなんてことのない音でも、憂鬱質の人には怖くて不安を感じる音だったりすることがあります。 同じ食べ物を食べても、一人一人が味わっている味は一人一人違うのです。 でもみんな、他の人も自分と同じ味を感じていると思ってしまうのです。 ピーマンが好きな人がピーマンが嫌いな人に「なんでこんなに美味しいものを食べないの」などと言うことがありますが、嫌いな人は美味しくないから食べないのです。 五感にはそれに対応する感覚器官が存在して、その感覚器官の働きも科学的に実証されているので、「五感」が存在していることは肯定されていますが、実際に人がその五感を通して感じているものは全く科学的ではなく、人それぞれなんです。 第六感にはそれに対応する感覚器官が存在していません。だからその存在を科学的に言うことが困難なんですが、状況証拠的には誰でもが知っている事実です。 家族が死んだ時、遠方にいるのに即座にその死が分かってしまうことも珍しくありません。(特に、うすらうすら寝ている時などにはその感受性が高くなるようです。) 友人がアフリカで暮らしている時、気付くとベッドの両脇にお父さんがいたそうです。日本にいるはずのお父さんが、しかも二人もいたのです。 それで「何かあったのでは」と日本に連絡したら、ちょうどその時にお父さんが亡くなったそうです。(35年以上も前の話なので携帯はありません。) 家族の死に関しては私の父も同じような体験をしています。 あと、父は何か困った事があると、ある占いの人の所に行っていたのですが、その度に本当にその通りになったことが何回もあったので、いつも家族みんなで驚いていました。 (ある時、「過去帳に名前が書いてあるのにお経をあげてもらっていない人がいる」と言われて帰ってきました。でも、父は毎日過去帳を一枚一枚めくりながらお経をあげていたので、「そんなことあり得ない」と反論したそうです。でも、その人は「いやそういう人がいます」と言い張るのです。それで父は「今回ばかりは○○さんも外れたね」と言っていたのですが、後日、没年不詳で最後の最後のページに一人だけ書かれた人がいたのです。父もそのことを知りませんでした。それで家族一同びっくり仰天です。) ちなみにその人は普通のサラリーマンで占い師としては活動していません。お金も取りません。不思議なこともしません。ただ一緒にお茶を飲むだけだそうです。 あと、理屈では理解出来ない方法で治療してしまう医者も時々います。 これは、出所が怪しいネットの情報などではなく、私の友人や娘婿の実体験もあります。実際に治っちゃうのですが、なんでこんなことで治っちゃうのかが全く分からないのです。 私はその手の話が好きなので、昔はよく、自宅パーティーに来てくれた人に、その人が体験した不思議な話を話してもらっていました。 するとみんな何らかの不思議な体験をしているのです。 私が若い頃に太極拳を習っていた先生も不思議な力を持っていました。 外気功も出来たのですが、指先一本で人を動けなくしたり、ちょっと触れただけで人を倒したりもしていました。 私自身もやられましたが、全く意味不明です。 指一本で抑えられて動けない時は、金縛りに遭っている時と似た感じで、外部からの力は感じないのですが、からだが動かせないのです。 あと、整体の先生は、触れただけでその人のからだの状態まで分かります。 今、システマという武術も学んでいるのですが、その指導者は手に触れただけで足の状態まで分かるといっていました。そして「そういう感覚を身につけろ」というのですが、なかなか難しいです。 (「自分の内側のものを外側に出して部屋いっぱいにまで広げろ」とも言っています。) うちの子が喘息で苦しい時に通っていた鍼灸の先生は目が見えないのですが、患者の腕に触れただけでその人が「薬を飲んだか、飲んでいないか」とか、「朝何を食べてきたのか」という所まで分かっていました。 本来、人間にはそういう不思議な能力も備わっているようです。 古代の人達にはそのような能力も必要だったのでしょうが、でも、文明的な現代人の生活には必要がありません。 だから、発現しなくなってしまっているのでしょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.05.27 07:12:19
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