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「自己肯定感が低い」という状態の反対は何だと思いますか?
「低い」の反対は「高い」ですから、一般的には「自己肯定感が低い」の反対は「自己肯定感が高い」ということになりますよね。 でも、「低い」も「高い」も評価によるものです。「自分自身の価値観による評価」です。そのため、自己肯定感が低い人に対して「自分をほめる」という方法を勧める人もいます。 自分のいい所を探し出して自分をほめるのです。「出来ないこと」ではなく「出来ること」に意識を向けるのです。そのようにして、自分自身に対する自分の評価を変えるのです。 確かにこの方法でも一時的には自己肯定感を高めることが出来ます。でも、この効果は長続きしません。一時的には自己肯定感が上がっても、「評価による自信」は不安定なので、ちょっと失敗したり、ちょっと人から非難されたりするとすぐに消えてしまうからです。 自分で自分をほめて自己肯定感をあげても、実際の自分自身の能力が上がるわけでも、他者からの評価が上がるわけでもありません。そのため、お酒を飲んで辛いことを忘れるのと似たような効果しかないのです。 それは自己肯定感が低くなってしまった原因と関係しています。 3歳ごろまでの幼い子どもたちはみんな自信に満ちています。自分で自分を責めたりする子はいません。でもそれは自分で自分を褒めているからではないですよね。 その自信はどこから来ているのかというと、お母さんや家族の人から無条件に肯定され、「大切な存在」として守られているからなんです。その安心感が子どもの自信を支えているのです。 幼い子どもの自己肯定感を支えているのは「安心」なんです。 でも、4,5歳ごろになって仲間と遊んだり、他の大人と関わり合う機会が増えてくると比較されることが多くなります。お母さんからも、無条件に受け入れてもらえなくなります。「お母さんの言うことを聞かない子は嫌いよ」などと言われたりもします。 他の人から比較されなくても、自分で「自分」と「他の子」を比較し始めます。 「○○ちゃんはコマが上手だけど、僕には回せない」とか、「○○ちゃんは足が速いけど、僕は遅い」などと比較し始めるのです。 でもだからといって、それがそのままその子の自己肯定感を下げるわけではありません。他に好きなことや、得意なことがある子はコマが回せなくても、足が遅くてもそんなに気にしないものです。 あと、コマが回せなくても、足が遅くても、みんなから「大切な仲間」として受け入れられている子も自己肯定感が下がりません。「仲間に受け入れられている」という安心感があるからです。 スポーツでは「能力の上下」を競い合います。ですから、どんなにサッカーが好きでも足の遅い子は非難されます、どんなに野球が好きでもボールを投げるのが下手な子は非難されます。 どんなにダンスが好きでも、それだけでダンスの競技に出たら非難されます。(先日のオリンピックで実際にありましたよね) でも「遊びの場」は「競い合う場」ではなく「体験や楽しいを共有する場」です。また、色々な能力の子がいるからこそ一緒に遊んでいると楽しいのです。 足が速い子、木登りが上手な子、歌が得意な子、虫を見つけるのが得意な子、ボーっとしているのが得意な子、こんな風に色々な子がいるから、遊びに多様性が生まれ楽しくなるのです。 人間に「上手下手」や「得意不得意」があるのは当たり前なんです。それが「自分らしさ」でもあります。 その「当たり前」や「自分らしさ」が肯定される場で、仲間と助け合いながら遊んで育てば自己肯定感などと言うものに囚われなくなるのです。 勉強でも、仕付けでも、スポーツでも、大人が決めた価値観を押しつけられ、競い合わされるから、人の評価を気にするようになり、「私は私のままでいい」という安心感が失われ、自己肯定感が低くなってしまうのです。 「私は自己肯定感が低いんです」などと「何の意味もないこと」に囚われなくなるためには、「自己肯定感」を高めようとするのではなく、「私は私のままでいいんだ」ということに気付く必要があるのです。そのためは「つながりに支えられた安心」や「私のままを受け止めてくれる仲間」が必要になるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.08.19 08:52:37
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