夏休みの宿題
子供が二人とも大学生になって嬉しいのは、夏休みの宿題から親が解放されたことだ。 あれは全く迷惑なものだ。どうして生徒に自由を与えないのだろう?休み中も教師が生徒を管理したいという願望の表れなのだろうが無駄なことだ。強制してもやらない子はやらない。 夏休みの宿題で最も有害なのが読書感想文であることは言うまでもないが、親に最も迷惑がかかるのが自由研究である。あれはもちろん、親がやるものに決まっている。二人の息子の小中9年間、毎年がんばって18個の自由研究を考えた。 月食の観察などは良いできだった。ちょうど夏休み期間中に月食があったので、5分ごとに撮影した写真を並べ、月食が起こる理由を考察したすばらしい内容だったが、教師の評価は低かった。 ラジコン飛行機を教えていたころ、飛行機の操縦の原理と飛行の安定性についてまとめさせたのも私は高く評価したのだが、教師は黙殺した。 一家4人の身長を一日の間、起床から就寝まで1時間間隔で測り続け、身長の日内変動を測定する、という研究は、プロの研究者である私が考えついた有用なものだ。起きて活動している間に男で1センチ以上、カミさんは2センチも背が縮むのだ。世代別男女各100人のデータが集まったら、私が論文にして解剖学雑誌に投稿しても良い、本格的な研究なのだが、教師はその意義さえ理解できなかった。 どうやら、教師は朝顔の栽培の観察のように、毎日まじめに継続するもの、恐竜展のように、プロのお墨付きがあるものをコピーしたものが好きらしい。一日で終わるものや、面白そうな遊びは嫌いなのだろう。