与那国ホンダ posted by (C)ドクターT
今回の与那国行きでは初めて与那国ホンダでレンタカーを頼みました。空港までご主人の西条さんが迎えに来てくれました。蝶の撮影に来島したことを告げるともう話が止まらなくなりました。そして夜に家に来て下さいと言う話になりました。西条さんの家は夜な夜な蝶屋が集まる家だったのです。だいたい蝶屋さんはその隣にある民宿おもろに泊まって、夜は西条さんの家で飲むのが一般的なパターンであるらしい。私は今回3回目の与那国ですが、いつもそこから800mほどの距離にあるアイランドホテル与那国に泊まっています。
店にトライアスロンの写真が飾ってあったので、西条さんにトライアスロンもするのですかと訊いて見たら、今はマラソンだけだけれど昔石垣島のトライアスロンに出たことがあるとの話でした。そこで、フリムン先生の話をしてみました。
第2回宮古島トライアスロン(1986年) posted by (C)ドクターT
フリムン先生と言うのは、昔与那国の診療所に勤める傍ら、毎日島中を走っていた清水先生のことです。フリムンと言うのは与那国の方言で変人とか気違いのことです。年は私よりふたつほど下ですが、名古屋大学医学部の2年ほど先輩で、昔ランナーズという雑誌に清水先生がトライアスロンに挑戦している記事を読んで私がトライアスロンを始めるきっかけになった先生です。第2回の宮古島大会で初めてお会いした時の写真です。
第3回宮古島トライアスロン年代別表彰 posted by (C)ドクターT
翌年、第3回の宮古島トライアスロンでは清水先生が年代別(35~39歳の部)で1位、私は3位(総合29位)でした。
第3回宮古島トライアスロン(1987年)-002 posted by (C)ドクターT
この年にはなんと女房も選手として出場しています。隣で走っているのは若かりし頃の國分愛知県協会会長、JTU副会長)です。
第3回宮古島トライアスロン(1987年)-001 posted by (C)ドクターT
昔は仲がよかったんですね
大昔の写真 posted by (C)ドクターT
鉄平など、まだ小学生で、私の払下げバイクに乗って喜んでいました。
話がそれましたが、与那国ホンダの西条さん(私と同年です)もフリムン先生の影響を受けて、マラソンに目覚めたという話をしてくれました。もともとは短距離選手だったそうですが、マラソンにのめり込んでサブスリー(フルマラソンで3時間を切ること)を達成したそうです。
さて、フリムン先生はその後どうなったかですが、フリムン先生の目標はアフリカへ行ってシュバイツァーになるのが夢でしたから、10年ほど与那国診療所で僻地医療を勉強し、金を貯めて、まずフランス語の勉強にフランスへ渡りました(アフリカはフランス語圏だったのです)。そしてJICAに入って、結局赴任したのが南米のボリビアでした。ボリビアから引き揚げて東京のJICAの事務局で働いているころに一度お会いしましたがその後の消息は判りません。
さて、話を蝶に戻しましょう。西条さんは蝶の採集をされる方で、もうじきインドネシアへ採集に行くということでした。隣のおもろに泊まっていた蝶屋さん(Aさん)が一人西条さん宅に来ましたが、Aさんは東京に住んでいましたが、定年前に会社を辞めて3年前石垣島に移住した方で与那国へもよく来るようです。昨日見えたそうですが、どうも迷蝶は今年は出ていないようです。