テーマ:今日飲んだお茶(1043)
カテゴリ:茶会記
昔、あるところに、お侍さんがいました。
そのお侍さんが、とても偉いお茶の先生のお茶会に呼ばれました。 お侍さんは、お茶会は初めてで、作法も分かりませんでしたが、 偉い先生に失礼のないよう、一生懸命、お客様を務めました。 先生の所を辞して、お茶を知らないことを恥じたお侍さんは、 それからお茶を習いはじめました。 数年が経ち、お侍さんが、茶道に詳しくなった頃、 再び、偉い先生のお茶会に呼ばれました。 今度は、作法は完璧です。 とても満足な気分でいたお侍さんに、先生は言いました。 「数年前、あなたは、作法を知らないと仰いながらも、 本当に丁寧に、お茶を頂いて下さいました。 しかし、今日のあなたは、作法には適っていましたが、 型に流れてしまって、心がこもっているとは思えませんでした。 とても残念に思います。」 ====== 小学生の頃に、『マンガ茶の湯入門』で読んだ話です。 「お茶って深いなぁ。いつかやってみたいなぁ。」 と思ったのは、これを読んだのが、きっかけだったのかも知れません。 ===== 10月に森鴎外記念館で行われた公開お茶会では、和服に着替えて見学していたところ、 初対面だった士門先生に、いきなり 「お正客をやって。」 と言われて、急遽登板。 ----- 流派の違いで、声掛けのタイミングが微妙に違ったりして、 多少ちぐはぐもしましたが、何とか、こなすことが出来ました。 その時、お話をしていたのが「お茶はおもてなし」ということ。 茶道は、形ではないのです。 ===== フライブルクで、ホストファミリーにお茶を点てさせて頂いた時(こちら)、 「ティーセレモニーというのは、どういう時に行うの?お誕生日?」 と聞かれ、返答に窮しました。 ----- 現代では、「お茶会が開かれる時がお茶会」になってしまっていますけど、 「こんな美味しいお菓子を頂いたから、みんなで食べましょう」とか、 「こんな素敵なお花が咲いたから、みんなで愛でましょう」とかが、 本来の姿なのだと私は思っています。 ----- 私が、度々「お気軽茶会」を開いているのは、それで、 英語の先生のフェアウェルにいかがでしょう(こちら/こちら)とか ダイビングで冷え切った体を、こうやって温めるのもありでしょ(こちら)とか 「もっとお気楽にお茶はいかが?」という提案のつもりでやっています。 ----- とは言え、「型」を破るからには「型」を知る必要があるわけで。 ===== お茶のお稽古が終わった、記念館の部屋をお借りして、お茶を点てさせて頂きました。 先生をお客様に迎えて…気軽に点てるはずが、先生からのお声がかかります。 そう言えば、お稽古をつけて頂くのって久しぶり。 ----- 気が付けば、自分の作法も、「型」に流れ、妙な癖が付いていました。 基本動作である、「袱紗捌き」や「茶杓の扱い」、「柄杓の扱い」など、 もう少し丹田を意識すること、余裕とゆとりをもって扱うこと。 表現は違えど、お稽古頂いている先生から言われていたことばかりです。 恥ずかしながら、「型」に流れていた、としか、言いようがありません。 ----- いくつかは流派の違いもあって、それも新鮮な驚き。 ・「お菓子をどうぞ」の声は、江戸千家では、お菓子を出したタイミングなのに対し、 嵯峨流では、水差しの蓋を取ったタイミングで声をかけます。 ・江戸千家では、お茶を一口頂いたところで、一礼して「大変結構でございます」などの声をかけるのですが、 先生は、お茶碗を手に取った時に挨拶されて、そのまま数口でお茶を飲み干されていました。 ・こちらには炉が切ってないので、お釜なのですが、江戸千家では「お湯の扱いの時に”鏡柄杓”、お茶に注いだら”留め柄杓”」と覚えていたので、そうしたところ、先生は「逆でしょう」とのこと。 私の記憶違いじゃないと思うのですけど…。 ----- お菓子は、ドイツ人の生徒さんが作られた、マジパンの「椿」。 「葉っぱの形が研究不足ね。」 との先生の評でしたけど、なかなかどうして、立派なものです。 甘みが抑えられていて、ちょっとジンジャーかな?そんな香りがして、美味しい。 ----- 自分の分も、引き続き自服(じふく;自分で点てて飲むこと)で頂きました。 ===== あの森鴎外先生が、かって人生の一時期を過ごした空間で、 士門先生が、これまで歩んでこられた人生のお話をお伺いしながら、 お茶を頂く贅沢と不思議。 5年前、ちょっとしたきっかけで、それまでやりたかったお茶をようやく始めたわけですが、 それが、様々な形で「縁」を結んでくれていることが、本当に不思議ですし、有難いことです。 5年前、始めていなければ、5年間という歳月は重ならなかったわけで、 本当にあの時始めていて良かったな、と思います。 帰国したら、5年間お世話になった先生のもとを離れてしまうことになり、 それは、本当に寂しいことなのですが、これからも、お稽古は続けていきたいと思います。 出来れば、年に一度のお茶会と、1/12の初釜は顔を出すようにしたいですけど。 ===== さて、ご馳走様でした。 お片づけ。お片づけ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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この前帰省したとき、「mrtk君は料理もするし、お茶も習ってる」と母に言ったら、「mrtk君すごい!」とほめてました。
(February 12, 2007 10:22:15 PM)
濃茶と薄茶でもいろいろタイミングが違って
いちいち大混乱してますιダメダメです(笑) (お菓子、裏は抹茶を入れる際に茶杓を握った時かなぁ。) ・・ホント流派でいろいろ違うんですね(・。・) ほぇぇ。面白いなぁ。 ・・お湯熱過ぎ!?ι大丈夫かなぁ(汗) と思いながら「気をつけてくださいねι」って差し出したお茶を 「熱くておいしかった(^^)」 ってお客さんに言って貰えたときは嬉しかったです。 なんか自分でも何が言いたいのかわからない・・・ιですけど 心遣いと、それをちゃんと受け取ってもらえた時の あの空間が好きです。 (February 13, 2007 12:49:04 AM)
私も小学生から20歳まで10年ほどお茶を習っていました。
やりたい仕事を見つけて、お茶を辞めてしまいました。 今は着物を着るようになって、和の物が好きになり、 続けてやっておけばよかったかな?と思うようになりました。 型にはまりすぎというのもありますが、その流派によって やり方が違うのでその違いを探すのも面白いかもしれません。 (February 13, 2007 10:49:05 AM)
>「型」を破るからには「型」を知る必要があるわけで。
↑これその通りだと思います!! 何事も(遊びも仕事も勉強も趣味も…)物事にはその成り立ちと先人達が築き上げた成果(←ここでは失敗もあえて成果とします)の上に成り立っているわけで、mrtkさんの日記であらためて因果の大切さに気づきました(^^) なんだか、お茶素敵ですね☆自分もやってみようかなぁ~(^^;) (February 13, 2007 04:01:56 PM)
お茶をやってて良かったなぁ、と思うのは、「別の時間」が持てることです。
違う時間と空気が流れる、ふわりとした空間。 >かめさん お褒めに預かり光栄でございます、とお伝えください。 しかし、料理も我流ですし、お茶も初心者です。 帰国したら、諸々、母に弟子入りします。 >さかなそらさん >>心遣いと、それをちゃんと受け取ってもらえた時のあの空間 分かります。多分、お作法って、「亭主」の気遣いと「お客様」の気遣いを結ぶためのルールというか手続きみたいなものなんですよね。 いつか、一服所望させて下さい(笑) >lalunanotteさん 10年って、羨ましいです。 中学・高校に茶道部はなく、大学の茶道部もちょっと敷居が高かったので、社会人になって、ようやく始めることが出来ました。 >>流派によってやり方が違うのでその違いを探すのも面白いかもしれません。 最初の頃は流派の違い、って分かりませんでしたが、ようやく「あ、ここは違うなぁ」というのが見えるようになりました。 でも、男性点前と女性点前で違うところがあったり、棚で違ったり、まだまだ「初心者」には、奥が深い―楽しいです。 (February 13, 2007 10:25:13 PM)
>みきてぃさん
えっと、「型を破るには…」は、どなただったか忘れましたけど、歌舞伎役者さんがテレビで仰っていたことからのパクリです。 私が言うより深みがあるでしょ(笑)? >>お茶素敵ですね☆自分もやってみようかなぁ~ 是非是非♪ 中・高の関係者では、よとう先生が、文部省管轄ではない、男性の多い、あの大学で、茶道部だったそうです。 それから、マイミクである、柔道部で一個下だった、けいぞー氏は、松下翁の薫陶を受けた学校で、裏千家の偉い方から手解きを受けていたそう。 お嬢様(☆ノーコメント求む)が多いから、女性陣は意外と出来る人多そうだね。同期で一人は知ってる。 みきてぃさんがお茶始めたら、同窓茶会でも開こうか(笑) 飲み会より、お洒落な感じでしょ? (February 13, 2007 10:25:53 PM) |
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