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2005/06/01
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カテゴリ:野球とスポーツ
教師は誰もが土井正三になる運命を抱えている・・・

イチローがメジャー安打記録を更新した日の翌日は、スポーツ紙を5部も買って読んだ。報知新聞まで買った。スポーツ紙を5部買うのは13年前にカープが優勝した時以来かも。そういえばビートたけしが講談社に討ち入りしたときも5誌買ったっけ。

どのスポーツ紙にも野球界の人がコメントを寄せていた。長嶋茂雄・王貞治・星野仙一・落合博満・仰木彬・野茂英雄・松井秀喜・佐々木主浩・・・イチローに対して絶賛の嵐の言葉がつづく。

私は50人近くに及ぶ球界の人物の中から、ある人物のコメントを探そうとした。
その人物とはあの「イチローを飼い殺しにした男」土井正三である。土井正三が今回のイチローの大記録について、どんなコメント出すか非常に興味があったからである。
しかし土井正三のコメントはどこにもなかったし、土井正三に触れた記事すらなかった。
土井正三のコメントがないのは、スポーツ紙記者が遠慮して取材に行かなかったのか、或いは土井正三側が取材拒否したのか、それともイチロー騒動が一段落するまで土井正三は雲隠れしているのか理由はわからないが、とにかく土井正三のコメントはどのスポーツ紙にも見つからなかった。

土井正三とはいったい誰なのか、またイチローと土井正三の間にどんな確執があるのか、野球をご存じない方のために少しご説明しよう。

土井正三は巨人軍のV9時代の二塁手だった。巧いバッティングと堅実な守備で定評があり、小柄な身体が軽快な、V9巨人の名脇役だった。当時セリーグを代表する豪腕投手だった江夏や平松や外木場が王・長嶋を抑えてほっとしているところで、土井にチョコンと打たれて負けたというケースがよくあったらしい。とにかく嫌らしいバッターだったみたいだ。

現役引退後は巨人軍のコーチを何回か勤め、日本テレビの解説者を経て、1991年から93年までの3年間、上田利治の後を継いでオリックスの監督に就任。戦績は3年とも3位だった。

そして監督2年目の1992年のシーズンに、イチローがドラフト4位で入団してきた。

土井正三監督は、イチローが独自に開発した、打席で右足を大きく振りスイングのタイミングを計る「振り子打法」を認めなかった。のちに振り子打法はイチローのトレードマークになるが、しかし土井正三はイチローに対し「その打ち方を変えなければ一軍では使わない」と命令し、そう命じられたイチローは「なら、使ってもらわなくてけっこうです」と自ら二軍行きを宣言し、土井監督に反旗を翻した。土井監督はそのままイチローを二軍に「飼い殺し」した。
イチローの成績は、1年目が打率2割5分3厘・本塁打0・打点5、2年目が1割8分8厘・本塁打1・打点3というものだった。

しかし仰木彬監督の就任によって状況は一変する。実力本位主義の仰木監督はイチローの才能を見抜き、1軍で1番バッターとしてチャンスを与え、また鈴木一朗をイチローという登録名に変えた。
その時あのパンチ佐藤も正式に登録名を「パンチ」に変えた。多くの野球ファンにとってイチローの存在を最初に知ったのは、おそらくパンチ佐藤と2人で改名の記者会見に出た時だと思う。その時はパンチ佐藤の方がはるかに有名な選手で、イチローはパンチと一緒に名前を変えた若い選手という印象しかなかった。
そして、その年にイチローはヒット数の日本記録を塗り替え、初の首位打者になった。その年のイチローの成績は、打率3割8分5厘・本塁打13・打点54。土井監督の陰湿な飼い殺しから解放され、イチローは化けた。その後イチローは、メジャーに行くまで7年連続して首位打者のタイトルを獲得したのだ。

イチローが活躍し始めてから、土井正三には「イチローを潰そうとした男」「イチローの才能がわからなかった男」という不名誉なレッテルが貼られ、イチローの活躍に反比例して土井正三の評判は地に堕ちていった。指導者としては最悪のパターンである。
その後土井正三は仲のいい長嶋に巨人のコーチとして呼ばれたことはあったが、球界の表舞台からは去っている。才能ある選手を開花させることができなかった指導者の悲惨な末路といえよう。

土井正三のイチローを二軍で飼い殺しにしようとした行動は確かに愚かだ。土井正三は巨人V9時代の管理野球の申し子であり、管理野球の殺伐とした融通のきかない部分だけを取り出して選手をまとめようとした。自分が認める打法しか認めないという頭の固さ、体育会的全体主義に凝り固まった頑迷さ、イチローが出した「結果」ではなく「打法」で二軍落ちさせた選手起用の非合理、そんな暗愚の大将ぶりには弁解の余地はない。

しかし土井正三にも同情すべき点はある。土井監督時代、イチローはまだ高校を卒業したばかりの若者で、足は速く守備はうまいが身体の線は鉛筆みたいに細かった。
そんな若い未熟な選手が、右足をフリフリする、誰も見たことがないヘンテコなバッティングフォームに頑固にこだわり、しかも結果を出していないとなると、首脳陣があれこれ手を出したくなるのも当然だろう。今だから何とでも言えるが、当時のイチローの姿を見て、放任を決め込み何の策も取らないのは、指導者として難しいことだったと思う。

また、イチローも監督やコーチに媚びへつらうタイプの青年ではない。職人肌のイチローは、体育会系の指導者から見てあまり可愛げのあるタイプではない。V9時代川上哲治から薫陶を受け、体育会的体質にどっぷりと浸かった土井監督には、イチローみたいな無愛想な個人主義の選手は異質だった。長嶋茂雄監督に対して「絶好調、絶好調」とこれ見よがしに言ってみせることで媚を売りアピールした中畑みたいなタイプの選手とは、イチローは対極にいるのだ。

土井正三は管理することを指導だと考える指導者で、逆にイチローは管理されることを極度に嫌う選手だ。そんな個人の資質の違いから、土井正三とイチローが対立したのは当然といえば当然だろう。



ところで私は塾の講師である。人にものを教える側になってみれば、自分がいつ土井正三みたいな立場になるかわからない恐怖がある。伸びて然るべき才能を見逃し、見逃した才能から復讐され・・・外野席の人間のように、土井正三の失敗を他人事みたいに笑うことはできない。

私も土井正三じゃないけれど、徹底的な学習法の管理こそが、生徒の学力を上げると確信しているところがある。
たとえば計算のやり方や、英単語の暗記方法を教えるときには、絶対生徒の自我流には任せない。まず「書く」ことこそが計算の上達や英単語の暗記には必要不可欠だと考え、途中の式や英単語を徹底的にこれでもかこれでもかと書かせる。

「方程式の計算は頭でするな、手で大きく途中の式を書きなさい。計算の文字が小さいじゃないか」

「君たち途中の式を書かないとあかんよ。そんなに書きたくなかったら、今日の計算は全部頭の中でやろう。紙とエンピツは一切使ってはいけません。では手始めに、341×27を暗算でやってみなさい。ね、できないでしょ。じゃあ紙に書いて筆算でやってごらん、ほらね、書くと楽にできるじゃん。頭の中に341×27という式の映像を浮かべると、すぐ消えちゃうでしょ。はかないでしょ。でも紙だったら確実にいつまでも残っているでしょ。方程式の計算も同じ。途中の式を細かく書いてやると、回り道のようでいながら実は速く解けるし、そのうえ正確だ。わかった?」

「英単語は書いて覚えよう。単語は頭じゃなくて手が記憶するんだよ。手の中には英単語専用の脳味噌があってね、何回も書くと勝手に単語を覚えてくれるんだよ」

「どうして君は漢字はきちんと書けるのに、英単語のスペルを間違えるのか理由を教えてあげようか? それはね、漢字は小学校の時に漢字練習帳に何度も何度も書いただろ、でも君は英単語の時は手を動かしていないじゃない。1000回書いたら絶対に覚えられる、やってみんさい」

とにかく私は、計算も漢字も英単語も手で書いて記憶することをしつこく指導する。事実この方法は間違いなく生徒の学力の平均値を大きく押し上げてきた。

しかしこんなオーソドックスな指導法が、もしかしたら天才児の才能の昇華を妨害しているのかもしれないのである。もしかしたら私は、正統的なバッティングフォームにこだわり異端を許さずイチローの個性を潰した土井正三と似たり寄ったりの頑迷な指導者なのかもしれない。

「計算式を書かなかったら全部やり直し!」
「英単語を書いて覚えなかったら残って100回ずつ書かないと家に帰さない!」

こんな強圧的な言い方をする私みたいな教師は、イチローに対して「打ち方を変えなければ一軍では使わない」と命令した土井正三と本質的にはあまり変わらないのではないか。

私もこんな態度を続けている限り、私もいつかは土井正三と同じような惨めな目にあう可能性だってあるかもしれない。
たとえば私の型に嵌める押しの強い指導法が合わなくて、中学生の時に塾をやめた生徒が、私の塾をやめた後に成績が急上昇して東大に入ったとしたら、それは私には強烈な不幸である。

これじゃあまるで、監督を辞めた途端に自分が飼い殺しにしようとしたイチローが大活躍をし始めた土井正三と同じじゃないか。
そうなった時に、東大に入った元教え子の成功を心から祝福する大きな度量を、私は残念ながら持ちあわせていない。綺麗事抜きで告白するが、自分を嫌がり塾を去って行った生徒が、その後大きく才能を開花させることは教師にとって大きな屈辱である。

街で久しぶりに元教え子の東大生に出会ったら、こんな言葉を浴びせかけられるかもしれない。

「ああ、みおさんですね(彼は意識して絶対に私のことを「先生」とは呼ばない)。中学生のときはどうもお世話になりました。あなたの塾をやめてから、別の塾で仰木先生という素晴らしい先生に出会いましてね。その先生は私を型に嵌めることなく、ましてや強引に叱ることなく、私を信用しながら指導してくださいました。仰木先生は私に対して、勉強のやり方は自分で考えろ、お前にはその頭脳と根気があると、私を持ち上げてくれました。あなたの塾をやめて正解でしたよ。
私は小5の時珠算1級を取って、暗算得意なんですよ。頭にソロバンが浮かぶんです。だからあなたの「書け」「書け」という命令はイヤでした。バカにするなと思いましたよ。だから私はあなたが嫌いになり、塾をやめたんです。
それから申し訳ありませんが、私が中学校の時に、あなたが厳しい指導をしたから私が東大生になったなんて勘違いしないで下さいね。思い違いもはなはだしい。私はあなたの塾にいて細かく言われるのが本当にいやだったんですから。あなたは僕にとって反面教師ですらないんですよ。」

そんな屈辱の言葉を浴びたとしても私に返す言葉はない。とにかく人を指導する立場にある以上、特に私みたいに強烈に自分を押し出す教師は、土井正三みたいな恥ずべき運命に陥る危険性を孕んでいる。覚悟しておかなければならない。

しかし、だかといって、型に嵌めたり叱ることを恐れて、なんでもかんでも「自由にのびのびしましょう! 君たちに全部任せるよ」となってしまったら、それは指導の放棄である。指導する側は土井正三になることを恐れて、指導の手を緩めては絶対にならないのだ。

それはそうと、もしイチローがもっと「素直」な性格で、首脳陣の言いなりになって振り子打法をやめ、打撃フォームをオーソドックスなものに変えていたら今頃どうなっていただろうか? 誰も真似できない高い打撃技術を求める想像力を封印されて、イチローは並の選手になっていたかもしれない。もしそうなら、イチローはまだオリックスに在籍して平凡な成績を残し、近鉄との合併問題で来年自分が契約されるか気に病む普通の選手になっていたのだろうか。

そして、土井正三があと2~3年監督を続けていたらこれは最悪である。もしかしたら飼い殺しのままイチローは戦力外通告を受け、プロ野球界を無名のまま去っていたかもしれない。
野球を捨てたイチローは、今頃どこで何をしているのだろうか?





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Last updated  2005/06/01 12:14:53 AM
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