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散文小径

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2011.04.02
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 里見の歴史は前期後期となります。前期をまったりと紹介してきましたが、今宵からは後期里見氏。地に足のついた歴史を、一緒に追いかけてみましょう。
 いざ、出陣。


                 ◆  ◆  ◆


 お題をつけて~という声がありましたので、今回から、題目つけますね。


 義堯最初の外交


 犬掛合戦によって庶流から当主の道を歩き始めた里見義堯。彼が最初に直面した課題とは、何だったのでしょうか。
 義堯の生い立ちを追跡しながら、そのあたりを浮き彫りにしていきましょう。

 里見義堯は永正4年(1507)、里見実堯の子として生まれます。幼名を権七郎といい、のちに刑部少輔を称します。長男の義弘が誕生したのは享禄3年(1530年)もしくは大永5年(1525年)とされるので、早く見積もっても大永5年以前、18歳頃に嫁を迎えたと考えられます。義弘の母親は夷隅郡伊南荘万喜城城主・土岐為頼の娘。この女性は義堯の正室ではなく、継室でした。ちなみに資料で見る範囲の義堯正室は、上州箕輪城主・長野伊予守憲業の娘とされます。のちに北条氏康や武田信玄を翻弄した長野業正は、憲業の子にあたります。この里見に嫁した娘は、どうやら両家の血を結ぶことはなかったようです。記録からその間の子は見つけられませんが、この当時、系譜から女子や曰く子はよく抹消されていますので、歴史の谷間のifは無いとは云い切れません。
 さて、犬掛合戦は天文2年(1533)の出来事です。
 義堯の生涯はめまぐるしく変わり、その重圧が突然覆い被ってきたと考えられます。その最たるものは、内政よりも外交能力の試練だったように思えてなりません。この骨肉の争いのなか、義堯はパートナーとして小田原の北条氏を選んでいました。そこで、江戸湾を挟んだ平穏を心に描きがちですが、実情は厳しいものだったろうと思います。
 ときの当主・北条氏綱は、フェアな盟約を結んだ気は毛頭ないでしょう。
 見返りとして江戸湾に拓いた港を要求したのかも知れません。どちらにしても、メリットのない盟約は存在しなかったと思われます。里見家当主になりたての義堯は、北条早雲の狡猾なる二代目に抗う術を持っていません。しかし、早く手を切ることを真剣に考えたことでしょう。
 戦国時代の生死は、チャンスを巧みに拾い嗅ぎ分ける力にあります。里見義堯は、それを真里谷家の家督相続のなかから見つけました。

 真里谷武田氏は小弓公方と連携しており、里見を引き込む密命を帯びていました。その途中、当主・恕鑑入道が没すると、真里谷家では二派に分裂し家督争いが生じます。恕鑑の嫡子・真里谷信応は小弓公方派として里見を取り込む選択をします。庶長子・真里谷信隆は北条への従属姿勢を選択します。両者は骨肉の要素を、このことで激突させたのです。北条氏綱にとっては里見に続く棚からボタモチ状態。当然、真里谷信隆を支援するとともに、義堯へも応援出兵を命じます。ここで、里見義堯は真里谷信応支持を表明したのです。
 突然のことに、氏綱は地団太踏んだことでしょう。
 小弓公方足利義明―真里谷信応―里見義堯。
 この連合に氏綱は当惑します。さっそく安房へ報復攻撃したくとも、小弓公方支持勢力が多方向で騒ぎを起こすため、儘なりません。その間に、里見義堯は江戸湾の防備を固めて水軍の拡充を行うのです。
 この真里谷家の一件を巧みに利用し、里見義堯は北条氏と縁を切ることに成功したのでした。
 この駆け引き、目に見えぬ火花、華々しい戦さよりも、こういう知謀戦が戦国時代の真価を問うものであったように思われます。
 里見義堯が関東に名を轟かせたのは、この一件からかも知れません。

 終生、里見義堯は北条氏と戦い続けました。
 かりそめの盟約が成ったのは、その死後の、つかの間のことだったのです。

 里見義堯は北条を牽制しながら、下総・上総国にと、積極的に進出していきます。居城を安房ではなく、上総国の久留里城の求めたのも、領土獲得の強気の姿勢といってよいでしょう。こうして、義堯は、里見氏の最盛期を築き上げたのでした。

 この北条との手切れ後に訪れた最初の試練が、二度二世代に渡り繰り広げられた〈国府台の戦い〉です。
 義堯の当主就任後、5年後のことでした。久留里城1.JPG
写真は里見義堯が生涯の拠点とした久留里城馬


                  ◆  ◆  ◆



 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。
「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」
 皆さまの温かいご声援をお願いします。


                  ◆  ◆  ◆


 ランキング、一時期は一位を頂戴しましたが、毎日更新で結構しんどいと実感しました。焦らず急がず、地道に更新したいと考えております。基本的には、週1~2回の姿勢を取っていきたいと思いますので、皆さまご容赦ください。
 いや、さぼり癖ではなく、里見関連新作の、いよいよクライマックス考察中です!労力をそちらに回したいと存じます。御免なさい。



 呼称が「東日本大震災」に統一されたみたいに聞いております。
 各地で花見が自粛されておりますが、季節は着実に巡っております。被災された皆さまが、一日も早い笑顔を取り戻されることを、心よりお祈り申し上げます。







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Last updated  2011.04.02 18:01:32
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作楽@ Re:随筆・あっそう!里見発見伝(02/18) 引っ越しされるんですね!了解しました。
としぞう@ はじめまして うちも楽天からアメーバに変わりました。 …
夢酔 藤山@ Re:奥平家と大久保家(02/06) いっちぃさん 仰せの通りです。 この…
いっちぃ@ 奥平家と大久保家 奥平信昌の娘が大久保忠常(忠隣の嫡男)に…
夢酔 藤山@ こんばんは 10月1日の全国里見一族交流会・館山大会に…
キミジイ@ 御支援の協力 夢酔 藤山様 署名活動はどの位の人数が…
いっちぃ@ 万喜城下より ご無沙汰しておりますm(__)m 近年の成果か…
史進@ おめでたいですね こんばんは、藤山先生 稲村城と岡本城が…
夢酔 藤山@ Re:ありがとうございました(10/05) >由愛さん 大役、お疲れ様でした。…
由愛@ ありがとうございました 夢酔藤山さま 館山ではありがとうござい…

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