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八犬伝じゃない里見の歴史、みんなはどこまで知ってるかな?
さあ、一緒に追いかけてみましょう。 時は戦国ただなかへ、いざ、出陣。 鶴姫さま、菊姫さま 里見義頼が北条氏政と和睦する際に、歴史の陰に泣いた女性がいたことを、あまり知られていません。戦国の世には、よくある話のひとつです。 天正2年、里見義弘が北条と和睦した折、義頼の正室として氏政次女・鶴姫が安房に輿入れしてきます。義頼は既に正木時茂の娘を妻とし、嫡男もいました。しかし、政略のため、正室の座を用意して、鶴姫を迎えたのです。 この政略結婚の実態は、よく分かりません。 想像の域を超えられない所も多分にあります。このあたりは、青岳尼の還俗輿入れと同じで、小説家の筆先三寸というところです。 この若い正室は、輿入れして僅か2年たらずで亡くなったと云われます。 那古寺参詣のおり、急な階段で足をすべらせ頭を打って亡くなったという説もあれば、故郷を恋見て江戸湾の彼方に心を奪われ鬱で亡くなったという説もあります。どちらにしろ、歴史の底に沈む、悲しい女のエピソードです。 北条にとって、天正年間初頭は西の動向が気になる時期でした。織田信長、徳川家康、武田勝頼……できることなら関東の対立分子を減らしたいところです。そこで、縁切れを恐れた氏政は、妹の菊姫を義頼継室として安房へ送ったのです。 若い正室の次は、やや熟れた継室。この縁を維持したいという氏政の必死さが伝わります。菊姫が里見家に嫁いで、事跡はやはり見えません。そして、早世しただろうことが垣間見えます。一説には、義頼の末子・義高の母だったとされます。 さすがに二度に渡る縁つなぎが切れると、北条氏政も露骨な輿入れをするわけに行かなかったようです。 歴史の谷間には、時として、このような女性が登場します。 戦国は男の社会と思われがちですが、女とてしたたかな生き方をします。その事跡が残り難いのは、寂しい限りです。鶴姫、菊姫、ただ泣き寝入りしただけの儚い生涯とは思いたくないのは、夢酔だけかしらん。 里見義頼の妻たちのなかで、生き永らえたのは最初の妻。のちの龍雲院だけです。正木宗家の血を継ぎ、嫡男・義康の母として、龍雲院は安房で権威を保っていたとされます。 女のいくさが、時の狭間に沈んでいるとしたら……ふたりの姫の早世の謎も垣間見えるかも知れませんね。 10月1・2日は南総里見まつりです。 夢酔もぜひ、今年は伺いたいと考えております。皆さんとお会いできたら、いいですね。 このお祭りは、恥ずかしながら一度も足を運んだことがございません。 ゆえに、心より楽しみにしております。 ◆ ◆ ◆ 戦国武将里見氏のNHK大河ドラマ放映を目指す「里見氏大河ドラマ実行委員会」が組織されています。里見氏終焉の地である鳥取県倉吉市、里見氏発祥の地の群馬県高崎市、そして館山市で、NHK側にドラマ化を働きかける運動を行っております。 「2014年に里見氏の物語をNHK大河ドラマで!」 皆さまの温かいご声援をお願いします。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.09.13 05:10:31
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