牧野富太郎博士
『日本の植物学の父』である牧野富太郎博士は、尊敬して止まない人物です。昭和32年(1958年)1月18日に94歳で亡くなったため、物理的に会うことはできませんでしたが、その研究成果と姿勢は大きな遺産として残ったと思います。----------牧野博士は小学校を中退したあと、学校で学ぶことはありませんでした。49歳で東京帝大(現:東京大学)の講師になりました。教え子達は東京帝大生です。方や講師は小学校中退です。その学歴の差を学生達は馬鹿にしていたようです。フィールドワーク(野外研究、野外調査)の際、学生が牧野博士(このときは講師)に恥をかかせようと、ある意地悪をしました。その学生は枯れた植物を牧野博士に渡したのです。(この植物の名称がわかるかい?)その植物は、今いるこの場所はおろか、関東圏にも存在しない植物でした。学生達が見守る中、牧野博士はその植物の根を口に含みました。そして、南方に繁殖しているヒルガオの名称を告げました。 「特徴として、サツマイモに似ている甘みが、そのヒルガオの根にある」----------自分はここで感動して泣いてしまいます。なので、この話を人に話したことは1回しかありません。・・・まあ、別にそんなことはいいですが。----------牧野博士は、生涯50万点の標本を作製し、600種類以上の新種を発見し、2500種以上の命名をしました。人間関係は色々とあったようですが、その研究者としての姿勢は世界一だと思っています。