未だ完治せず持病となってしまった病気発病経験です
Wikipediaによる定義
脳挫傷 (英:cerebral contusion、独:Hirnkontusion)とは、頭部を強打するなどの要因
によって外傷を受けた際に、頭蓋骨内部で脳が衝撃を受けて脳本体に損傷を生じる病態。
外傷を受けた側の脳が局所的に障害を受ける一方で、外傷とは反対側の脳表面は広範囲に
わたって障害を受ける。これは外力によって慣性を付けた柔らかい脳が硬い頭蓋骨に
内側からぶつかって広範囲に挫滅するためと考えられる。
このような脳実質の挫滅、小出血、続発する浮腫を脳挫傷という。
保険自動車so-so用語辞書から(抜粋)
てんかんとは、痙攣(けいれん)・などの発作をもつ脳の慢性疾患です。
外傷性てんかん とは、頭部外傷によりてんかん発作を生ずるに至った場合に
認定をされる後遺障害です。
脳の損傷による症状がある場合や、頭部CTで脳挫傷などの脳組織の損傷が
認められる時は、外傷性てんかんを起こす可能性が高いとされています。
2001年6月
そのころ某バカみたいに忙しい会社の、超アホみたいに忙しい部署に所属していた
コンビニのセブン・イレブンの意味ってご存知ですか
その昔、アメリカでは朝7時から夜11時まで開いている画期的なお店だった
その職場はまさしく7-11状態で、ほとんどの人が夜中まで普通に働いてた
それもどんどんエスカレートし、夜12時からミーティングとか平気で組まれてしまう
もっとも、ニューヨーク、ロンドン、東京3者でミーティングをしようとすると、
日本が犠牲になり、その時間になりがちだが、とにかくそれが日常茶飯事
海外の人に日本人って7-11みたいに働くのね… って 言われる始末
それどころか、それでも追い付かず土日なんてなかった…
システムの入替時などは、月曜日に会社に来て 次に家に帰れるのは日曜日の午後
着替えを取ってきて、また月曜日が始まる
しかも会社はニューヨーク、ロンドンにもオフィスがあり…
システム会社はシカゴ、なんだかんだと、年に何度も出張があり…
7-11と言われていたころはまだよかったのかも
そのうち「東京は年中無休24時間営業だ」 と
そんな生活をしていた2001年6月
マネジャー以上は年に1度 最低5営業日以上連続で休暇を取らなければならない
という 事故・不正防止の社内規則がちらつく
はっきり言って、「この状態でどうやって休みとんねん
」 という感じ
しかし社内規則は規則 規則に従った…
「たまったマイレージでビジネスクラスで行ける一番遠い
リゾートどこ
」
メキシコのカンクン
遠かった… アメリカ国内で
乗り換え ほぼ20時間かかり到着
アメリカに住んでいる友人とホテルで現地集合
とにかく寝よう
し・あ・わ・せ
少しはスッキリし目をさました
どこまでも青い青い
海と抜けるような澄み切った空
とにかく朝食をと… ビーチのカフェで少し食べたものの
はやり疲れが溜まりきっていたのか、ちょっとふらつくし変… 気持ち悪い
そう思い、「部屋で寝てるね~」 と友人に言って部屋へ戻ることに
覚えているのはそこまで
ここからは友人談になりますが
立ち上がり部屋へ戻ろうと2、3歩歩いたところで、突然頭から転倒
側石に頭をぶつけたらしく、頭から血を流して意識不明で倒れていた
救急車で運ばれ処置室へ
そこで病院側から言われたことが 「先に金を払わないと治療しない」 だそう
すごい… というかさすがというか
友人も負けていなかった 「金は払うが、血を止めるだけでいい、開頭手術はするな」
これもすごい… メキシコの医療技術を信じてない
目が覚めたのは頭を縫われていた時 麻酔してなかったのか…
そのまま病院に2日いたが、ドクター以外は英語ができずスペイン語オンリー
スペイン語はできないので、看護師は親切に話しかけてくれるけど意思の疎通なし
治療らしい治療もしていなかったので、ホテルに戻ることにした
ホテルの窓から見える青い海と空が虚しかった
3日でショートフライト
の
が出たので
とりあえず英語圏で近いラスベガスへ
レントゲン、CT、MRIと検査をするも脳挫傷自体を治す手立てはなく
ロングフライトの許可が出るまで安静に と言われ、痛みどめをどっさり
やることなかった~ 頭が痛いからカジノはうるさすぎて長居ができず…
歩けないから街の散策もできず、痛み止めでフラフラしてるからショーを
観に行っても途中で寝てしまうし…
車いすで可能な行動範囲は… アウトレットだった
バスで運んでくれるし、涼しいし、静かだし
抜糸後ロングフライトの許可がでて日本に帰れることになった時は正直ホッとした
もちろん帰ってきてから精密検査を受けた
青くなったのはアメリカでの医療費の請求書
さすがに過労が原因と明白だったのか、会社が全て負担
なんとか普段の生活に戻れたころ、後遺症が出始めた
直後から耳鳴りは24時間鳴りっぱなしでイライラしていたが、なんとか耐えられる範囲内
けれど 頭痛で起き上がれない 突然ブラックアウトして倒れる ことが何度もおこり
また脳外科を何件も回ることに
しかし脳外科の範囲では、異常なし 異常なし 異常なし… と
いつ倒れるか不安が募るも、異常なしと言われるとよけい不安なもの
何度目かに救急車で運ばれた時、もしかしたらということで脳波を測った
それで判明 外傷性てんかんになっていた
て・ん・か・ん
それでも原因が分かっただけで、精神的に落ち着き、
てんかん自体も薬でコントロールできる範囲になったため気分もようやく落ち着いた
ここまでくるのに約3カ月
その間会社には「残業するべからず」というドクターストップをだしてもらっていたので
以前に較べるとかなり楽な生活になっていた
し・か・し
2001年9月と言えば9.11
残業ならずのはずが、そろそろもとどおりの生活に戻りかけていたころ
その時間、NYと
電話していた
ちなみにNYのオフィスからWTCは目と鼻の先
そして、その瞬間「あ、ヒコーキだ。あ、ぶつかる~~~。ぶつかった~~~」
という実況中継を聞く
羽目に
東京のオフィス内にも他にNYと電話していた人かかなりいたようで、
一斉に騒ぎ出し、みんなしてTVモニターの前にはりつき状態
ええええええ
これって事故
と言っている間に2機目が激突
そのままWTCが崩れ落ちるまで誰一人モニターの前から動けずだった
WTCには取引先も多く、その先はおそらく想像どおり
その後しばらく連日真夜中まで仕事が途絶えることはなかった…
私にとっては、9.11を機に元の生活に戻ってしまった
そしてこれじゃ死ぬと本気で思い、異動願いを
提出
異動はかなったけれど、外傷性てんかんとは未だお付き合い中
会社なんていくら一生懸命働いても、「死んだらお終い」
「ああ、良い人だったね」で終わってしまう
(教訓) 命あっての物種です
後記:長い話にお付き合いいただきありがとうございます。
備忘録のようなひとりごとでした
いつかカンクンリベンジを果たしたいものです(余談)
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