![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/3ed5d6779bfeb11198930e9c8ca6f2c10b345ed0.56.2.9.2.jpeg)
首都チュニスにほど近い丘の上にたたずむ街、シディブサイド
チュニジアンブルーと真っ白な壁が映える美しい街並みは
チュニジアで一番美しい街と言われるほど
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/4c8ab192c5d1891177d8538d195c73dbf0d83fc6.56.2.9.2.jpeg)
鉄鋲(モスマール)で飾られた青い扉も
ココで見るのが一番きれいに感じるかも
模様は家によって違い、魔よけの意味もあります
シディ・ブサイドの歴史は紀元前8世紀ごろ
カルタゴ文明の始まりまで遡ります
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/7220dc85363b77d4102efc8045441a12b88303a4.56.2.9.2.jpeg)
シディ・ブサイドから程近いカルタゴにて
フェニキア人が新しい文明を起こし発展していきました
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/36c1a417059850c043b6adcdcfbac8fdabaf0ac8.56.2.9.2.jpeg)
ローマ人がカルタゴに入植した後は
シディ・ブサイドにもローマの街が築かれました
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/e4654fbe708faee36fdc5761e29901fc3e8450a5.56.2.9.2.jpeg)
その後アラブ勢力がチュニジアの地に侵攻
当初シディ・ブサイドは北東部海岸の防衛の地に適しており
監視塔と灯台が造られたと言われています
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/ef4f5141def5e9a0007b433e8f86b5ea283c7636.56.2.9.2.jpeg)
ところで、シディ・ブサイドの名前の由来ですが…
伝説によると1270年フランス国王(聖ルイ9世王)が
十字軍を率いてのチュニス攻撃中に没したのですが
実は生きていてイスラム教徒に改宗、ブサイドと名前を変え
ベルベル人の娘と結婚し余生をこの地で暮らし
やがて聖人(シディ)となったことが由来という説
ちょっと信じられない(だから伝説?)
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/e26614e2195020eca331be2c7cc7622294d2f356.56.2.9.2.jpeg)
実際は違うようで1231年に没したスーフィー教の導師
聖者アブ・サイドが引退、シディ・ブサイドに移り住み
ここで埋葬されたのですが、彼の別名がブサイドであったため
そのまま彼の名前がこの土地に残ったと言われています
どちらにしても、なぜ青と白の街になったのかは不明…
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/d369fba2a7f987ab67cc62d1050ae5a6a5a7d2c3.56.2.9.2.jpeg)
青と白の街はギリシャのサントリーニ島のイア等にもありますが
ここは少しアラブテイストが入り複雑なニュアンス
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/dc2da2afc433dbd8274b15d6b73bc629b376d028.56.2.9.2.jpeg)
20世紀以降、景観保護の政令により
無秩序な建物の建設が禁止され
青と白に統一されることとなったらしいのですが
こういった規制はシディ・ブサイドが世界で初だそう
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/0069bede042d62ea83a6b03efc13aa1f438e4179.56.2.9.2.jpeg)
大人買いしたいくらい美しい色のお皿達
欲しいけどガマンガマン
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/b39df4ee181669dc1d7aecf72f935315e2378907.56.2.9.2.jpeg)
だらだらと上り坂のハビブ・タムール通り
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/ac3cfcc441f7d98b3f23411847e45e5b5709ab99.56.2.9.2.jpeg)
一番高いところにあるのカフェ・デ・ナット
チュニジアの昔ながらのカフェで賑わっていました
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/7135a20c26c352d69d857e344058900aba73f46e.56.2.9.2.jpeg)
カフェの右側の道をもう少し進みます
ブーゲンビリアのピンクやグリーンが
南国の街に色を添えます
街は決して大きくはないのでそろそろ端っこ
丘の上から地中海が見下ろせます
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/24c568968e787c75f8024752cff52a9881ac83b4.56.2.9.2.jpeg)
海を見ながらゆっくりできそうな
カフェ・シディ・シャバーンへ
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/25be32c4b9bdaeaa14e9452aca2dcbb8d2e0c9a1.56.2.9.2.jpeg)
あら~混んでるかもと思ったのは勘違い
ただただ入り口で観光客が普通に写真撮影中(; ・`д・´)
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/02554317ed244bdea6209c6946837691eeeb7e29.56.2.9.2.jpeg)
アルコールメニュは無しですヾ(。>﹏<。)ノ
イチゴとレモンのジュースだと
「酒と○○」シリーズはできないやんか(・`ε・´●)チェ
でも、と~っても濃厚で美味しいジュースでした
Cafe Sidi Chabaane
いや~、ココは楽しっ!
半日、いや一日ココでのんびりしていたかったあ
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/e5add1ae30af3b27889738fdc45f4189aea145be.56.2.9.2.jpeg)
ランチはカルタゴ近くのシーフードレストラン
実はこの日、エジプトの民族衣装真っ青なガラベイヤを
着用しておりまして… オ恥ずかしながら自前っす
シディ・ブサイドでは妙に溶け込んでしまったのよ
もう、クタクタで喉カラカラ
ワイン一本いっとく\(^o^)/
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/e6b5a9d9f33f4d831891f017ae76b967fea12835.56.2.9.2.jpeg)
チュニジアンサラダはツナがデフォ
ここでもタジンが出てきました
どんなお魚料理が出てくるのかな ドキドキ
ど~んとブイヤベースのようなオジャでした!
これが んまいのなんの
お魚は脂がのっていてフワッと仕上がっている白身
海老、つぶ貝のような貝も2つ…
そしてお決まりのピリ辛トマトソース
スプーン欲しかったなぁ~ 飲み干したかったお味
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/1534ac2f02e4ab5d62ccabdf347e02dd36932f41.56.2.9.2.jpeg)
La Victoire
1 Avenue Franklin Roosvelt, La Goulette 2060, Tunisia
地中海貿易で栄えたカルタゴ、チュニスに程近い
チュニス湖東岸にあった古代都市国家
カルタゴの歴史は2800年前まで遡ることができ
伝説によるとフェニキア人の都市国家ティルスの王の妹
ディドン(放浪者)と呼ばれたエリッサが建設した
…とされていますが、確証ありません
カルタゴの名前はフェニキア語のカルト・ハダシュト
(Kart Hadasht=「新しい町」)に由来するそうです
ちなみにチュニジア政府は1987年に「カルタゴ建国2800年祭」を
開催、紀元前814年がカルタゴ建国年と見なされています
1979年世界遺産に登録されています
カルタゴの遺跡は点在していまして…
まず向かったのはローマによって滅ぼされてしまった
フェニキア人によるカルタゴ市の中心があったピュルサの丘
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/543dfa223b22e914eec860d6e650e03c4ca77d7e.56.2.9.2.jpeg)
ピュルサの名前の由来は王女エリッサの機知を物語っているそう
この土地に街を建設する際、先の住人は牛の皮(ピュルサ)
一枚で覆われる土地しか譲れないと言われ了承
エリッサは1頭の牛を求め細く割き細い紐を作り
土地を囲いこの丘全体を手に入れたのです 賢っ
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/7720202e377044e33d2be241680c7fbb7e02645e.56.2.9.2.jpeg)
遺跡にそびえるサン・ルイ教会(アクロポリウム)
最初に礼拝堂が置かれたのは1840年で
現在の大聖堂は1890年にフランスによって建てらたもの
1270年に第8回十字軍遠征に参加中に没したフランス国王
ルイ9世に捧げられたものです
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/3c6dba4efcb132fbcb68866e035dcf42ae3c864d.56.2.9.2.jpeg)
紀元前264年から紀元前241年に起きた第一次ポエニ戦争は
シチリア島の支配を巡っての争いでローマの勝利に終わりました
紀元前219年から紀元前201年の第二次ポエニ戦争では
ハンニバルの善戦によってローマに迫りましたが
紀元前149年から紀元前146年の第三次ポエニ戦争で
カルタゴは3年間の籠城戦の後に陥落、街は完全に破壊され
塩で埋め尽くされ不毛の地になったそうです
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/4cf95e361bf3bca6ebab62908e96a4758606fd71.56.2.9.2.jpeg)
一旦は廃墟になったカルタゴですが紀元前29年に
カエサルはカルタゴの再建を指示
その後アウグストゥスに引き継がれ
2世紀ごろにはローマ帝国第3の都市にまでなりました
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/3b055caba65aa0e43c61fa52142e7756a083add6.56.2.9.2.jpeg)
ローマ帝国が衰退した5世紀にはゲルマン人が侵攻
カルタゴを首都としてバンダル王国を築きましたが
533年には東ローマ帝国のユスチニアヌス帝によって
バンダル王国は滅ぼされ再びローマの支配下に入り
7世紀になるとカイルアンに中心が移りカルタゴは衰退
…長い歴史です
カルタゴの遺跡のほとんどはローマ人の物ですが
ローマ人の遺跡の下にカルタゴ人の住居跡が
見つかっています …どれとは言えないけど
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/1cd969253f23599a7fd6af3539c172d7df538427.56.2.9.2.jpeg)
地下に広がる遺跡は当時に想いを馳せる
想像力が必要ですが…
地上に残るものには案外風景が見えてくる 気が…
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/52e39faecf1aa0d9794828c4fbf0014135a70c91.56.2.9.2.jpeg)
住宅地の中にあるカルタゴの面影を残す数少ない遺跡
トフェ(タニト神の聖域)は、ポエミ時代には
墓場と火の神バール・ハモン神(フェニキアの古代宗教神)
天と豊穣の神タニト(カルタゴの守護神)が祀られた聖域
だったそうですが… 現在残る遺跡には
生贄とも考えられている幼児の骨が入った骨壺が
発掘されている墓石がずらりと並んでいるところ
さすがに写真を撮る気にはなれませんでした
チュニジアでよく見かけるタニト(Tanito)のシンボル
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/6c067dacb71c0f24b39145147f03e73a472662a7.56.2.9.2.jpeg)
ただの池のようにしか見えないですが古代カルタゴの港
商業港と軍港に分かれていて
軍港は二重の防壁に囲まれていて直接海から
侵入できない造りになっていたそうです
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/318668e3de41cce23e21ce88466dfc59b60abf5c.56.2.9.2.jpeg)
発掘は遅れていて1970年代に入ってからとのことですが
港の小島ではローマ神殿などが発掘されているそうです
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/35f04ba40e34da3092a47df51d3bc914703c7c4f.56.2.9.2.jpeg)
2世紀に五賢帝の一人アントニヌス・ピウス帝によって造られた
海を背景にした共同大浴場(テルマエ)
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/9ff51cc326ce717d8465c20771e2b352798caf8e.56.2.9.2.jpeg)
当時の建物は2階建てで更衣室、温浴風呂、水風呂
サウナ、プール、噴水、談話室、トイレなど
100を超える部屋が左右対称に配置されていたそうです
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/84f43a941c5a6c85b4b6cf21dbc71e3da3ac5687.56.2.9.2.jpeg)
輸入された大理石がふんだんに使われ
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/b18a1b3275819e8eae1444a9c9e59943ccd80339.56.2.9.2.jpeg)
華麗なレリーフが残されています
1階は冷浴室(フリギダリウム)で土台が海面から5.6m
円柱の高さは15m、ドームの天井高は30mもあったとか…
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/e971fbb6f0a02d559ed00692ac5d844cef7b35c8.56.2.9.2.jpeg)
お隣が大統領官邸なので、写真撮影はお気をつけて!
向かって左側にちょっとでもカメラが向いちゃうと
カメラを取り上げられるとか… 警備員さんいます
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/5db5baf8f977424dcc0c13240ba0558f3ac0eb3e.56.2.9.2.jpeg)
柱のレリーフの部分がボコボコと無造作に置かれていて…
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/6e5536f8a86ec92d98a3782089f1180920affea4.56.2.9.2.jpeg)
気持ちよさそうににゃんこが寛いでいました
チュニジアはとにもかくにもニャンコ天国でした
![](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/96fd50059dbd9285a086f2ec458b30e839bfe1fd.56.2.9.2.jpeg)
カルタゴのテルマエ遺跡で驚いたのが
3年ほど前にブルガリア・ルーマニアで出会った
友人と偶然の再会!! 声をかけていただいてびっくり!!
うれしい再会にしばししゃべりまくりっ
続きはこちら 9. ローマ遺跡ブラレジア ~世界遺産のドゥッガ遺跡
2018年10月:マグレブのチュニジア、地中海からサハラ砂漠への旅トップに戻る
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