この日は那覇バスの定期観光バスに乗って観光!
免許返上しちゃったのでレンタカーという選択肢は無し
まあ都内にいると必要ないから不便は感じないけれど
沖縄本島は車なしじゃ辛いかも〜
と、思っていたのだけれどバンバン出てたわ観光バス
本島の北部、やんばるへlet's goです
向かった先は古宇利島(「こうりじま」って読むのね)
沖縄県国頭郡今帰仁村にある島で
屋我地島から古宇利大橋で繋がっています
那覇からはバスで2時間以上・・・
途中休憩で降りた伊芸SA 南国じゃぁ〜
那覇のホテルにいると海は身近でも見えないもんね
やはり海が見えるとテンション上がるのは
海の見えるところで育ったDNAかしらん??
エメラルドグリーンの海に囲まれた古宇利島
面積3.17km2、周囲7.9km、最高点107mという
車だと10分くらいで回れる円形台地状の小さな島
2005年に開通した隣の屋我地島と繋がる古宇利大橋
橋を渡るときに見える海・・・ちと逆光で残念
「うちなんちゅも絶賛するほど」という透明度が高い海
1960年代から、島内の生活・産業基盤の整備が進められ
1970年代には海底からの送電・送水による電力供給施設
簡易水道・灌漑用貯水池が整えられ・・・
1980年代には島を一周する道路
1990年代には漁港・水産加工施設
2000年代には古宇利大橋の建設・・・と
とにかく目白押しで整備されていった古宇利島
人口は350人、世帯数160世帯くらいの小規模島ですが・・・
橋を渡ったところ直ぐには公園があります
2013年には「古宇利オーシャンタワー」もオープン
箱物も多いわよね〜 人口比からすると・・・
古宇利島は古くから「恋の島」や「神の島」であるという
伝承があるところ ・・・言えば沖縄版「アダムとイブ」?
「こうりじま」の語源も「恋島(くいじま)」と
言われているためある意味聖地なんでしょうか
そのあたり全く興味がなく?
オリオンビールを飲むノンベ女史
写真撮って、ビール飲んでの古宇利島
何したわけでもなく次に向かいますっ
大橋を渡る際、今度はきれいに撮れました!
こうやって見ると本当に美しいブルー
今帰仁に向かう途中、遠くに見えた!
見えてる見えてる!夢中でパチリ
よく写っていたもんだわ😁
さてさてやってきました世界遺産
2000年に首里城跡などとともに
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の
構成物の1つとして世界遺産に登録
「ヤンバル」と呼ばれる沖縄本島北部
本部半島の北側に位置する今帰仁村
琉球王朝時代には沖縄県北部の中心地は
今帰仁城だったのです
寒緋桜がちょうど終わりかけだった今帰仁城
今帰仁城の物語は多くあり、旧家に残る家譜や野史として
伝承しています ・・ので、史実とは反していることもあり
多くは伝説として伝えられているとか
難攻不落と謳われた王城の跡〈「城」はグスクって読みます〉
おお、気持ち良さげに寝転がるにゃんこ
14世紀から15世紀初頭、本島北部地域を治めた王国
北山の王城、今帰仁城の城跡
堅牢な城壁に囲まれたその城は、標高約100m
やんばるの地を守る要の城だったのです
平郎門から城の中へ・・・
先ほどのにゃんこが案内してくれます(ただの偶然)
今帰仁城跡の歴史は古く
13世紀まで遡ることができるとか…
にゃんこの案内もここまで・・・
木陰でひなたぼっこ?に戻っていきました
平郎門からは半端ない階段・・・登ります!
三大勢力が争ったグスク時代
14世紀の中国の史書に登場する琉球国山北王の三王
怕尼芝(はにじ)、珉(みん)、攀安知(はんあんち)
沖縄本島は北部地域を北山、中部地域を中山
南部地域を南山がそれぞれ支配していた「三山鼎立の時代」
北山王は今帰仁城を拠点に沖縄島の北部を支配
攀安知時代の1416年に中山の尚巴志によって
滅ぼされてからは中山は北部地域の管理のため
監守を派遣、城は監守の居城として利用されていました
しかし1609年に薩摩軍による琉球侵攻、
城は炎上してしまったのです
監守が住まなくなって以後は拝所となり
精神的拠り所となっています
積まれた石の美しさを実感できるグスクですが
建物等は残っていないので
スピリチュアルな雰囲気の漂うグスクでした
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