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Mar 5, 2008
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シンガポールの続きです。

アラブ・ストリートで降り出したスコールは、なかなか止みそうもありません。
仕方がないので、雨でも歩ける場所はないかと考えて、ラッフルズ・ホテルへ向かうことにしました。

ここからはビーチ・ロード沿いに1kmほど、車なら5分も走れば着くはずです。
幸い何とか車が捕まったので、慌てて乗り込みました。
そしてしばらくして車が止まると、そこにはあの見覚えのあるコロニアル風の白亜のホテルがありました。

ラッフルズホテル1


さて、シンガポールに行ったことがある方は、きっと一度は「ラッフルズ・ホテル」の名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。
あの香港のペニンシュラ・ホテルに勝るとも劣らないアジアの名門ホテルで、シンガポール
の父といわれるラッフルズ卿の名前を冠した、素晴らしいホテルです。

ここは、宿泊客でなければホテルエリアには入れませんが、庭園やショッピング・アーケードなどには入れます。
そのラッフルズの中を歩きながら、その歴史をちょっと振り返ってみましょう。

ラッフルズホテル2


ラッフルズ・ホテルの始まりは、ペニンシュラホテル(1928年開業)よりも40年も前
の1887年に遡ります。
オーナーは、アルメニア人のサーキーズ兄弟。
当時は、海沿いに立つ10室程度のバンガローといった趣だったようです。

その後、スエズ運河が開通すると、植民地としてのシンガポールには、イギリスなどから次々と船が寄港するようになり、ホテルも活況を呈していきます。

1899年には、このホテルの顔となる3階建てのメイン・ビルディングが建てられ、自家発電による照明といったモダンな設備とクラシックな雰囲気が人気となり、その名は世界中に知れ渡って行きました。

ラッフルズホテル3


その後、上級スイートルームのブラ・バサ・ウィングやショッピング・アーケードがオープンし、1920年には大きな舞踏室が出来ると、優雅なイブニングドレスに身を包んだ紳士淑女が毎晩のように集まるようなっていったようです。

第一次大戦後あたりから、このエキゾチックな東洋の神秘的なホテルの名は一層広まり、著名人も数多く滞在するようになります。
その中には、サマセット・モーム、ノエル・カワード、チャーリー・チャップリンと言った著名人たちがいたようです。

ラッフルズホテル4


第二次大戦が始まると、ここも1942年に日本軍が占領し、名称も昭南会館と変えて使用していました。
しかし幸いなことに、戦争による被害はなかったため、終戦後の1946年にはすぐにリニューアル・オープンします。

シンガポールが独立国家として歩み始めてからも、ホテルは変わらずに営業を続けましたが、さすがに老朽化が目立つようになり、当時発展しつつあったオーチャード・ロード界隈に、近代的なホテルが次々とオープンすると、厳しい情況におかれます。

ラッフルズホテル5


その頃には、まったく新しく建て直すという話も出たようですが、歴史的な資産を大切にしようと言う人たちの考えによって、1987年にラッフル・ホテルは国宝に指定され、1989年には閉鎖され一大改修工事に着手しました。

古い写真や図面をもとに、1億6千万シンガポール・ドルをかけて、二年後には1915年当時の姿に見事に復元されたラッフルズホテルがお目見えしたのでした。

新しいホテルの建物は、超近代的な設備を持ちながらも、伝説的な当時の優雅な雰囲気をそのままに残していて、多くの宿泊客を魅了しています。

ラッフルズ・ホテルの客室はすべてスイートで、チーク材の床にオリエンタルのカーぺットがしかれ、高い天井にはゆっくり回るファン。
博物館級のアンティークな家具のあるお部屋もあるそうです。

ラッフルズホテル6



ところで、ラッフルズ・ホテルには、かつてここに滞在したり、ホテルの発展に貢献した著名人にちなんだ客室(パーソナル・スイート)が10室あります。
これらの部屋は、その人の名前を冠したスイートルームとなっていて、本人の署名入りの作品や、当時の写真なども飾られているそうです。

サマセット・モームは、アジアを舞台にした小説の題材を集めるために、3回ほどこのホテルを訪れているようです。
また、チャーリー・チャップリンは、1933年にこのホテルに滞在し、そのときの写真も残っています。

ホテルの敷地面積の4分1を占める庭は、さまざまな熱帯植物が5万本以上も植えられ、ホテルの各部屋のバルコニーからも見ることが出来ます。

シンガポールの基礎を築いたスタンフォード・ラッフルズ卿は、植物を深く愛し、総督官邸近くに植物園を創立したそうですが、このホテルはそうした伝統も受け継いでいるのだそうです。

ラッフルズホテル8


さてホテルロビーからショッピング・アーケードに向かう途中にあるパーム・ガーデンには、大きな鋳鉄製の噴水が据えられています。

この噴水の歴史は古く、1890年にグラスゴーから輸入され、シンガポール内の邸宅で使われていたものを、寄贈されたのだそうです。
その見事な造形は、ホテルの建物により一層趣を与えていました。

ラッフルズホテル7


その先のラッフルズ・コートヤードは、ホテルとショッピング・アーケードに囲まれたオープンスペースのレストラン・エリアです。
もし雨でなければ、コロニアルな建物と調和した庭園を見ながら、ゆったりとした食事が楽しめそうですね。

ラッフルズホテル9


ラッフルズホテル・アーケードは、シンガポールで最も気品に満ちたショッピング・モールと言ってもいいでしょう。
コロニアルな雰囲気の中には、ティファニーやルイ・ヴィトン、プラダといった高級ブティックや、タイシルクのジムトンプソンはじめアジア雑貨なども扱うお店が並んでいます。

ラッフルズホテル10


ブランド品には無縁な私は、そのままオリジナル・ショップへ。
ラッフルズ・ホテルのお土産を買うなら、このショップがお奨めですね。
すべてオリジナルで、とてもお洒落なものばかりです。

ちょっとお値段は高めですが、旅の思い出にいいですよね。
化粧ポーチ、ペンケース、キーホルダー、開業以来のさまざまな荷物タグ、それにオリジナルのアール・グレイの紅茶など、またまた衝動買いです(笑)。

ラッフルズホテル12


買い物を終えてホテルの外に出てみると、先ほどまでのスコールがいつの間にか止んで、熱帯地方の青空が広がっていました。


さて、シンガポールのラッフルズ・ホテルのご紹介、いかがでしたでしょうか?

もし、いつか宿泊客として訪ねることが出来たら、パーソナル・スイートに泊まって、遠い昔に思いを馳せてみたいものですね。


ラッフルズホテル11









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Last updated  Mar 6, 2008 01:15:04 AM
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