いよいよ梅雨明け真夏本番、今年は土用の丑の日が2日もあり、例年通り滋養満点の鰻にあやかれる季節到来です。そんなことで今回は福岡県柳川の川下り(堀下り)と鰻をご案内です。
柳川市は平成の合併で人口は7万4千人、福岡県南筑後平野の平坦な低地に位置し、緩やかに傾斜が有明海に向かって広がり、干潮時には広大な干潟が生まれる地域になっています。
福岡方面からは西鉄天神駅乗車の電車利用、西鉄柳川駅下車が手軽で早く便利です。
車ですと高速道路を降りてからが、道順複雑で混雑道路を通って辿りつくことになります。
城下町の特徴は縦横に掘割が走り、それをポイントに街巡り計画が特上コースになります。
柳川城の濠が街の中を縦横に走り、そこをどんこ舟で川下りするのが水郷の町の魅力です。
西鉄柳川駅から徒歩5分位の所に乗船場があり、ここから約1時間で北原白秋生家近くの下船場に到着です。ハッピ姿の船頭さんの案内、季節の花々や外壁の土塁跡、城堀水門、赤レンガの並倉・・・ゆったりとした風情に至福の時間は過ぎて行きます。終点近くに見えるのは殿の倉、殿様の御花のなまこ壁で水郷旅情の余韻に浸ることが出来ます。
訪問時期は花菖蒲の季節が一番かな・・・、水がもう一寸綺麗だと興も盛り上がるのに・・・ね。
私の故郷仙台の独眼流伊達政宗62万石、この武将の孫娘・鍋姫(二代藩主忠宗の娘で徳川家康の曾孫、二代将軍秀忠の養子)が、筑後柳川藩立花家の二代藩主忠茂に嫁いでいます。
格の違い・藩の財政事情・忠茂は再婚、ということで最初は渋った立花家ですが、三代将軍家光の意向が強く働いた上意婚儀のようで、それにしてもこの時代に1,600kmもの遠地に嫁ぐことに感心します。7千坪にも及ぶ藩主別邸に宮城県松島を模した庭園を造りますが、時代を通り越して今でも遺産は残っています。伊達政宗の長庶子秀宗は四国宇和島10万石藩祖として出向いていますから、仙台・宇和島・柳川は交流があり維新まで存続しました。(現在は姉妹都市)
詩人・歌人・新民謡(ちゃっきり節など)などで活躍、でも私は童謡作家のイメージが強くあります。これは詩集を読む習慣が私に無かっただけ・・・順不同ですが童謡には、この道・ペチカ・からたちの花・待ちぼうけ・揺り籠のうた・城ヶ島の雨・砂山・あわて床屋・・・これ等は鈴木三重吉創刊の童話雑誌『赤い鳥』の童謡を担当したことも影響しているようです。
57歳で亡くなる波乱の人生の中で興味を引いたのは、伝習館中学(現福岡県立伝習館高校)に入学するも成績不振で中退・・・伝習館高校には仕事でお世話になった思い出がありました。
そして北原隆吉少年が何故『白秋』号を使用したのか? 青春・朱雀・白秋・玄冬・・・最初に白秋記念館を訪問した時に受付に疑問をぶつけました。以外にも・・・16歳の時に仲間と同人雑誌発行・・・その時に仲間と号を選び順次決めていった時、最後に残っていたのが白秋だったとか。
水郷・柳川で欠かすことの出来ないのは鰻、伝統『せいろ蒸し』は柳川の名産になっています。
その中でも元祖『本吉屋』は300年の歴史、待ち時間2時間余でやっとありつく事が出来ました。
全国区のせいろ蒸し、秘伝タレをまぶしたご飯を蒸し、焼き上げた鰻と錦糸をそのご飯に乗せてもう一度蒸し、身はふっくら皮はバリバリ、香ばしい味が堪能出来る趣向に待ち時間帳消しです。
昨今話題の偽造・里帰りうなぎとは縁が無い品質と確信、でも、年寄にはあなごが一番かな!
余談ながら土用の丑の日は、讃岐出身のエレキテル平賀源内の鰻キャッチコピーになります。
次回は北海道の尾根大雪山系の最高峰『旭岳』トレッキングを予定しています。 |
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最終更新日
2008.07.19 07:08:11
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