388582 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
2008.09.13
XML
  紀伊半島東南部に位置する信仰の熊野三山、4年前の '04年7月に高野山、吉野・大峰と共に『紀伊山地の霊場と参詣道』として、文化と自然環境の世界遺産に登録されました。
熊野の地名は『隈の処』という語源から発しているようで、奥深い神秘の漂う所の意のようです。
今回は全国に広く浸透している熊野神社(三千数百社)の総元締め、熊野三山のご案内です。
熊野三山の配置地図
熊野古道には、
熊野参詣道(大・中・小辺路、紀伊路、伊勢路)、大峰奥駆道、高野山町石道がありますが、
和歌山・奈良・三重にまたがる、何れも半端な気持ちでは歩くことが出来無い修験道です。
自然崇拝に根ざす『神道』、中国伝来の『仏教』、神仏混在・習合する霊場になります。
熊野速玉大社ご朱印 熊野那智大社ご朱印 熊野本宮大社ご朱印
  熊野国造りの開祖は、天照大御神の孫で天孫降臨で知られる『迩迩芸命=ニニギノミコト』の兄君、『天火明命=アメノホアカリノミコト』になります。そのようないわれある神達が各社に大挙して祀られています。(我が国土や神を生み万物を育てたイザナギ・イザナミの夫妻、高天原を治めるアマテラスとスサノオの姉弟、その子供や孫、曾孫、夜叉孫・・・から神武天皇の父君の宮崎県鵜戸神社に祀る鵜葦草葦不合命=ウガヤフキアエズノミコトまで、一族大勢が祀られています)
大社それぞれ多少伝承が違うようですが、又してもご朱印のスタンプラリーをしてしまいました。
熊野速玉大社 熊野速玉大社 熊野速玉大社御神木の梛の大木
  野速玉大社、約2100年前に神倉山(現大社から南に2km程の所)の霊石ゴトビキ岩(天の磐盾)に降臨された熊野三神、本殿の熊野速玉大神(イザナギノミコト)、熊野夫須美大神(イザナミノミコト)、家津美御子大神(スサノオノミコト)を現在地に神殿を建てお迎えしたのが始まりとされています。新しいお宮にお迎えしましたから新宮になり、イザナギノミコトから神武天皇の父君まで6代が祀られ、平安末期に三山造営奉行を務めた平重盛(清盛の嫡男)手植えと言われる、日本最大の梛(なぎ=いちい科)の神木が、樹齢1千年を経て出迎えてくれます。
JR新宮駅前の名物パン屋で朝食を求め、参詣してから熊野灘海岸での食事が思い出されます。
大門坂 大門坂夫婦杉 大門坂
  熊野古道は難行苦行の信仰の道、道程は遠く長く険しく、それだけに修行の道になります。
だから六根清浄と唱え還魂蘇生蘇(かんこんそせいよみがえり)の道と云われる所以ですが、触りだけだと罰が当たりますが、古道の往時の面影を色濃く残している大門坂、熊野那智大社へ続く樹齢800年の苔むす石畳の道を約1km、標高差100mを神聖な気持ちで歩って見ました。
熊野那智大社二の鳥居前で 熊野那智大社拝殿 那智山青岸渡寺
那智の滝 那智の滝 飛滝神社と那智の滝を背景に
  熊野那智大社は他の二山より社格は落ちますが、神武天皇が東征で日向美々津を出発、あっちこち寄り道して長い年月を要して熊野灘海岸に上陸された折、那智山中に光り輝くものが見え大滝を探り当て、神として祀られたのが始まりだそうです。ここに国造りの神である大巳貴命(大国主命)を、また、親神様である夫須美大神(イザナミノミコト)も御主神として祀っています。
徳川幕府までは神仏習合でしたが、明治の神仏分離令で観音堂が青眼渡寺になっています。
それにしても日本三代名瀑の那智の滝(落差133m、幅13m)は、神様として崇めるだけあって荘厳で絵になります。注ぎ口の注連縄は年2回も、神職によって張替えられるようです。
熊野本宮大社参道 熊野本宮大社 熊野本宮大社の本宮前で
  熊野本宮大社、旧社のあった大斎原の大きな櫟(いちい)の木に、三体の月が降りて来たので不思議に思い尋ねると、真ん中の月が答えて曰『我は家津美御子大神(スサノオノミコト)、両側の月は権現の熊野速玉大神(イザナギノミコト)と熊野夫須美大神(イザナミノミコト)である。社殿を建て祀りなさい』との神勅が下されたのが始まりとか、天照大御神もお祀りしています。
『蟻の熊野詣』といわれるだけあって参詣者が多く、これは修験者や比丘・比丘尼の僧達が、諸国を行脚し熊野をPR、その成果があって平清盛・重盛親子、北条正子、源義国、文人・歌人など陸続と参詣、豊臣秀吉や徳川幕府からの庇護と資金提供で今日が存在していました。
熊野の山々(小雲取越の百間ぐらから)
  熊野古道中辺路、熊野本宮大社から熊野那智大社方面へ8.5km(徒歩2時間45分)の百間ぐらからの熊野山波で、神武天皇が大和に向かう途中の熊野山中で道に迷い、熊野大神のお使いである三本足『八咫烏=やたがらす』が道先案内をしたと伝承される山々になります。
日本サッカー協会のエンブレムとして、縁起八咫烏が使われていることは広く知られていますネ。
世は無常を常とし無常を生きる心境(無我の境地)に、凡人・盆暗は中々そうなれないものです。
次回は誰にでも訪れて歳を重ね、嬉しくもちょっぴり悲しい?家族の誕生祝を予定しています





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2008.09.13 07:36:58
コメント(0) | コメントを書く
[神社仏閣巡りで歴史探訪] カテゴリの最新記事


PR

キーワードサーチ

▼キーワード検索

カレンダー

お気に入りブログ

ハープエンターテイ… 47弦の詩人さん
江戸東京ぶらり旅 原宿駅前さん
ウチナームークの沖… Jack-Barloweさん
山と旅と酒と温泉。… haihaihaihaiさん
マイラー★きゃわぃの… きゃわぃさん

コメント新着

endohsa@ Re:人生とはこんなもの・・・半世紀も前の初恋! (09/15) お久しぶり。 再来月、松島大観荘でまた詳…
y76VHD hcclccs@ y76VHD <a href="http://hcclccscuvry.com/">hcclccscuvry</a>, [url=http://virtdcr y76VHD &lt;a href=&quot;http://hcclccs…
endohsa@ Re:なつかしのビートルズ、マッカートニー来日!(11/14) ご無沙汰です。 このレコード私も持ってま…
aopgwyv@ pQynCrirrbmZf bhIBu3 &lt;a href=&quot;http://anlqagl…
プラダ トート@ blwfmmgl@gmail.com 今日は よろしくお願いしますね^^すごい…

カテゴリ

バックナンバー

2024.06
2024.05
2024.04
2024.03
2024.02

フリーページ

ニューストピックス


© Rakuten Group, Inc.