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36歳無職駄目精神病 36年の軌跡

36歳無職駄目精神病 36年の軌跡

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2008.08.24
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 平成15年になり、恵子との交際も一年を過ぎた。正月に恵子はとんでもなく豪華なお弁当を僕に作ってくれた。二段重ねの重箱には、僕の好物の焼きタラコが丸ごと入ったおにぎりが何個も入っているし、カツや卵焼きなども大きくておいしく、ハムをレタスで巻いて爪楊枝で刺したものなども入っていた。
 嬉しいと思った反面、定職に付けず、パチンコのサクラのバイトなんかをやっている駄目人間の僕に、ここまでしてくれる恵子に申し訳なく思った。

 昨年に引き続き、恵子とは頻繁に有馬ワンダガーデンや、近隣のペットショップに通っては、ミニチュアピンシャー(ミニピン)という種類の犬を眺めていた。1月に有馬ワンダガーデンに行った時、ふれあいランドという犬を触ったり遊んだりできる場所で、多数の種類の犬が走りまわっている中、僕と恵子は人懐っこくて頭の良いミニピンをとても気に入ったのである。
 しかし、冬季の間、短毛のミニピンは寒さに弱いので室内に入れられて、ふれあいランドなのに、ほとんどふれあえなかった。わざわざ有馬まで行ったのに、係員に頼んでほんの一分程度、ミニピンに会わせてもらうためだけに車で有馬まで行っていた。
そんなにミニピンが好きなら、思い切って飼ってしまおうかと考え、恵子と話し合い、あまり深く考えずにペットショップにてミニピンを十三万円で購入。飼育ケージやらエサやら何やらも買い込み、二十万円くらいはかかったので、僕が貯金をしている恵子名義の銀行口座から引き出して支払った。
 ミニピンは恵子が飼うことになり、恵子のマンションに連れて帰った。恵子のマンションはペットが禁止されているが、恵子は隠れペットとしてウサギを二匹飼っていた。そこへ、小さな子犬を飼い足しても大丈夫だと思っていた。しかし、ウサギとは違って子犬のミニピンは、寂しくなって泣き声を上げるし、物音に対して吠えるので、近所の人に通報されないかという不安に駆られていた。これによって、かなりのストレスを感じた恵子は、この頃から少しずつおかしくなっていた。
 恵子は年齢が二十三歳になることもあり、結婚して新居を構えて欲しいと言い出した。そして、「今の仕事を辞めて、普通の一般的なサラリーマンになって欲しい」と頼まれた。同時に、「無駄使いを一切やめて、倹約するよう」にとも言い出した。やがて、恵子の要求は強制となり、今年の3月までに転職先が決まらなければ別れると、別れ話まで持ち出された。

 僕は権力恐怖だという事もあり、彼女の要望に応えられるかどうか不安だったが、仕事のある日は仕事に行き、仕事の無い日は職業安定所に通う日が続いた。
 その頃の日本は不況のどん底で、職業安定所には就職を求める人達による長蛇の列ができていて、求人情報を検索するコンピューターを使用するだけでも何十分と待たされ、さらに面接を申し込むのにも何十分と待たされた。職安の職員はお役所仕事なので、三時になるとキッチリと休憩する悠長さにイライラとさせられた。
 多数の会社の面接に行ったが、大勢のリストラ組が再就職を求める究極の買い手市場で、やたらと傲慢な面接官が多かった。面接が始まって開口一番、「当社の勤務時間は午前七時から午後九時まで残業手当は払いません。休みは日曜日だけで、盆も正月も休みがありません。それで、給料は十八万円ですけど、それでもいいですか?」と、真っ先に労働基準法を守らない悪徳企業であることを明言する恥ずかしい企業があった。
 冬の寒い時期に、ストーブもない寒い部屋に一時間も閉じ込められて、震えながら一般教養の試験を受けさせられた。腹が立つので机に「死ね」と定規の角で彫ったこともあった。
 中堅製造企業の生産管理社の採用試験で、知能指数がかなり高いということで二次試験に進んだことがあるが、それが僕の最高値。三次試験はあっさり落ちた。
 面接で好印象だった企業も何社かあったが、求職者が多すぎて受からなかった。それでも頑張って三十社くらい応募しただろうか。その三十社全てに落ちて、就職先がなかなか決まらず困惑した。

 やがて、恵子の倹約ぶりが異常になり、僕が就職活動中にコンビニで売られているペットボトルのお茶百五十円也を買っただけで怒ってしまい、車の中では些細なことが原因で怒り出して、自分の車のダッシュボードを思いっきり蹴り続けるなど、奇行も目立ち始めた。
 会えば喧嘩、話せば口論。結局、恵子が摘した3月末を待たずして、これ以上、恵子と交際を続ける事は不可能と判断し、2月に別れることを決意した。



 3月になって、恵子を失って一人ぼっちになった僕は、寂しさのあまり、山口さんに誘われてよく酒を飲みに行ったスナックP店に一人でも通うようになった。この頃、P店ではアイドル並に華のある望(のぞみ)という女の子が眩い輝きを放っていて、僕も密かに恋心を抱いていた。
 ある日の夜、望から「P店が暇なので良かったら遊びに来てもらえませんか?」と営業メールがあった。僕は見たいテレビ番組があったのだが、急いで支度をしてP店に向かった。
 P店でカウンター席に案内されてビールを飲んでいたが、望はぱっとしない矢沢栄吉のような五十代の常連客に付き、専属的にずっと接客していた。いつになったら望が僕の接客にあたるのかと思って待っていたのだが、三時間以上待たされた挙句、一度も望が僕に付く事がなくP店は閉店になった。しかも、通常は目当てにしているホステスに店の外までお見送りしてもらうのがスナック業界の常識であるのに、それも無しだった。僕は不愉快な思いをした上に一万円もの料金を支払わされて非常に屈辱的だった。
 後で解ったのだが、スナックP店を経営するマスターの原田という男(池乃めだか似で僕より一歳年上)はかなり気が弱く、当時、望の大ファンだった常連客のぱっとしない矢沢栄吉のような男が、原田に「望を付けないとこの店に来ないぞ」などと脅したため、原田はビビッって年下の僕をないがしろにし、矢沢に望を付け続けたのである。
 他にも、『あばれはっちゃく』の父親役として登場しそうな五十代の頑固親父も望の事が気に入っており、P店に行ったのに望が一度も付かなかったことに腹を立て、店を出た後、原田を呼び出して暴力団関係者であることを匂わせながら脅したという事件があった。原田は気が弱いだけでなくて頭も弱いので、その翌日はずっと頑固親父に望を付けた。そのため、矢沢や他の常連客が怒り出し、原田の指示通の客にしか接客できない望も一部の客から非難を浴びることがあった。

 後日、P店で山口さんと酒を飲む機会があった。相変わらず、原田は望をぱっとしない矢沢栄吉に付け、僕と山口さんはないがしろにされていた。僕がその事に対する不満を山口さんに口にしたところ、山口さんは「十万円やるから原田に望を付けるように交渉して来い」と言って僕に十万円を手渡した。僕はそれを受け取ると、すぐに少し離れた場所に居た原田に交渉に行った。所詮、原田はすぐに言いなりになる男なので、「すぐに、望を付けさせてもらいます。十万円は要りません」と答えた。
 僕は十万円を自分のポケットにしまい込み、山口さんに「交渉成立したよ」と告げた。確かに山口さんは「十万円やる」と言ったので、この十万円は僕に権利があると考えたからである。
 望が僕と山口さんの席に付いたのに、山口さんは「十万円を返せ」と言って来た。僕は「交渉代だ」と言い張って山口さんに十万円を返そうとはしなかった。しかし、山口さんがあまりにもしつこく返せと言うので、結局、十万円を返したが気分が悪かった。

 僕の日当はたったの一万円なのに、山口さんの稼ぎはかなりのもので、僕を一日働かせただけで三万円から四万円以上の利益が出ていることを知っていた。また、他からの収入もあり、おそらく日に十万円は稼いでいると推測していた。
 僕にもそれくらいの収入があったら、恵子と幸せに暮らせたのに。幸せな日々を続ける事ができたのに。そう考えると、彼女を失って悲しみ暮れる僕とは対照的に、妻も愛人もいて金の権力でよろしくやっている山口さんが羨ましく思え、たったの十万円ポッチの小銭もくれないことに腹が立った。

 僕が不服そうな顔をしていると、山口さんは次第に怒り出し、「金が欲しければ持って行け!」と、一万円札百枚くらいを僕の顔面に投げ付けた。札束は僕の顔に当った後、バラバラになって宙を舞い、スナックP店の床一面に散らばった。
 僕は一瞬ビックリして、床に撒かれた万札を拾おうかと思ったが、次の瞬間、完全にブチ切れた僕は山口さんのむなぐらに掴み掛かり、「金で人をおちょくるな!コラァ」と怒鳴り付けた。

 これ以前に山口さんとは様々な伏線があった。金という権力を持ってからは人に対して傲慢になり、悲しい話だが、お金しか信用しなくなってしまっていた。「自分に集まる人間は、金で集まって来ているだけ」だと、口癖のように言っていた。山口さんのお金儲けに貢献している西さんや僕を粗末に扱い、「家庭を潰したる」とか、「精神的にボロボロにしたる」などと酷いことを口走っていた。
 しかも、山口さんが西さんや僕に電話を掛けて来る時はいつもワンギリだった。パチンコのサクラの世界では、いつ緊急の連絡があるかわからないので、「電話は必ず出るように。出られなかった場合は速やかに折り返しの電話を掛けるように」との決まり事があった。それをいいことに、山口さんは通話料節約の為、電話を掛け直させていたのだ。おかげで、月額三万円を超える携帯電話料金が僕に請求されたこともあった。僕も西さんも、山口さんには酷いイジメを受けた。
 僕は恵子との別れを機にパチンコのサクラなんて辞めようと思っていたし、山口さんとの付き合いも辞めようと思っていた。それよりも、どうやら軽度のうつ病状態になり、しっかりと生きて行く気力がなかった。もう、何もかもがどうでもいいとさえ思えていた。
 先日も山口さんにサクラのアルバイトをさせてくれるパチンコ店の店長を紹介されたが、特にしっかりと挨拶などしなかった。山口さんに怒られたけど、もう、関係ないと考えていた。
 今日、スナックP店で山口さんと酒を飲むことになったのは、たまたまP店で居合わせたからであり、本当は一人で飲む予定だった。一人でP店に来店し、公務員をやっている東尾修似の五十歳くらいの常連客と仲良くなって話しをしていたところに山口さんがやって来たので、半ば強制的に山口さんと飲まなければならなくなったのである。

 僕と山口さんは店を出た表の路上で口論となり、僕は今までの恨みツラミを山口にぶちまけるように思いっきり怒鳴りつけた。すると、山口さんは「仕方ないな、お前殺したるわ!」と僕に告げて、近くに停めてあった山口さんの車の中に置いてあるであろうナイフを取りに向かった。
 その時の僕、ナイフなど怖くなかった。愛していた恵子が、僕がしっかりと金を稼げないせいで鬼と化してしまい、何もかも失った気持ちになっていた。だから、命を失っても別に良かったのだ。また、山口さんがナイフで僕を突き差して来ても、なんとなく、その寸前で刃を交わして柄を右手でキャッチできる気さえしていた。

 僕と山口さんの喧嘩の仲裁をしていた原田は、さすがに傷害事件に関わるのは嫌だったのか、「トイレに行ってくる」と行ってその場から逃げ出した。
 僕も一瞬、逃げようかと思ったが、別に殺されてもいいと思い直して、その場に立っていた。そして、僕と山口さんの二人きりでの一騎打ちとなった。

 山口さんは僕のところへ戻って来た。山口さんの手を遠目に確認すると、何も持っていなかった。そして、僕の方にやって来た。すると、「仲良くやろう」と右手を差し出して来た。
 敵意のない相手に対して攻撃するほど僕も人間ができてなくはないので、素直に右手を差し返した。
 喧嘩はこれで終わったが、「サクラのバイトは辞める」と伝えた。山口さんはこれを承諾した。西さんにも電話で辞める事を伝えて、僕はこのサクラのグループと縁を切った。






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Last updated  2008.09.11 07:23:02
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