カテゴリ:教育、子育て、自転車旅行
たつの市の中二自殺の件でもそうだけれど、学校、教育関係者って、偉そうにしているけれど、結局のところは、いちばん重要な部分はマニュアルに沿ってしか動けない。
自分の頭でものを考えたり、自分の心でものを感じたり、そんな力がどんどん劣化していくんだろうね。 元々、そんな力のない奴らが教育関係者になるっていうのもあるんだろうけど。 で、心のない奴らだから、マニュアルを変えられると、大騒ぎ、対応できない。 大津の事件以来、警察への通報だとか、上から通達されるようになったんだろうね。 でも、今までが、塀に囲まれた内部で起こったことは、隠蔽がいくらでもまかり通るようにされてきたわけだから、奴らも混乱、パニクっているんだろうね。 でも、同情の余地なんてないよ。 自業自得でさえない。 結局は、子供や保護者にしわ寄せがいくんだから。 自殺した生徒に申し訳なかったって言って、自殺する教師って聞かないだろう。 奴らには、人の心がないからだよ。 人の心を持ち合わせていない奴らが、マニュアルだけに沿って、世間的に都合が悪くなったからといって、少しだけマニュアルをいじくる。 そんなことをしたって、ムダだよ。 心のない奴らが、マニュアルだけ整備したところで、何の役にもたたない。 どこの世界にもいるんだけど、マニュアルを整備する、作り上げることに、生き甲斐を感じるバカ。 そのことで、人様を管理したつもりになるバカ。 そして、そのマニュアルは、多くの場合、外部に対しては、公開されない。 奴らの作ったらしいマニュアルに、奴らが従っているのかどうかさえ、曖昧にされたままであることが多い。 校内で暴力事件があった場合、隠蔽、虚言など行わずに、自分たちの無能さを認めて直ちに警察に通報すること、 って新しいマニュアルができたとして、そのマニュアルを守らない教師がいても、マニュアルを守らなかったことが隠蔽されるだろうし、そんなマニュアルが出来上がったことさえ、公にされず、隠蔽されるのではないか。 「卑怯者がどれだけ頭数を集めても、卑怯者の集団にしかならないよ」 と、私はちゃりこの小学校の教師やPTAに言った。 「卑怯者の前にどんなマニュアルがおかれても、それは卑怯者のマニュアルにしかならない」 そういうことだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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