沖縄伝説・・・男は肋骨が一本足りぬ
「イギガー、ソーキプニヌ、ティーチ、タラーン」(男は肋骨が一本足りない)というこのことばは、男は女にかかったら愚かになる、いう意味に用いられていると言う。先週沖縄で3日間、多くの人と親交を持たせてもらったときにこの話が出た。なぜ沖縄に聖書の創世記の始めの記事が昔からあるのだろう? また島クサラシという習慣があるという。悪疫が流行したとき、厄払いのためにするもので一名島カンカーとも言うらしい。上代沖縄各地にあったというが、近年まで国頭方面(恩名)や中城(美里の一部)などに伝えらていたらしい。それは獣の血を家の柱や鴨居に塗り、あるいは血を木の枝につけて軒にさしたり獣骨を村の入り口につるす。あるいはトヒラ木の枝などもつるすことがあった。この起源は何も伝えられていないが、これが古代の沖縄人の先祖たちの信仰から生まれたものであることは間違いない。古代の先祖たちは獣の血を門にまたとに塗ることが悪い厄から免れる方法であると信じた証拠であろう。この起源をやはり聖書のヘブライ民族のエジプト脱出のときの過ぎ越しの事件とだぶっている。200万とも300万とも言える人々の奴隷解放である。これを記念してユダヤ人は過ぎ越しの祭りをしているがこの習慣が沖縄にあるのはどういうことなのだろうか?もちろんこの習慣は、本土の伊勢の蘇民将来という人々のなかにも見られるのであるが、日本という国は、いや民族は不思議なルーツをもっているものだ。この度(この旅)の沖縄の人々との出会いは、実り多い旅であった。これからもその実はたわわに実ることを夢見ている。また1月に招かれているが、今から楽しみでしかたがない。あの空、あの海、私の好きなニュージーランドとよく似ている。