カテゴリ:本・読書
昨日は作家の角田光代さんにお会いできました。
本好きの人間にとって、作者に会って話が聞けるというのは喜びの一つです。 11月に初めて参加した『小説家になろう講座』の今月の講師でした。 最近小説を買うのがめっきり少なくなったので、角田さんの作品を沢山読んでいるわけではないのですが、雑誌等に載っているエッセイの、彼女の人柄がにじみ出ている文章が好きです。 この講座では、受講生が提出した文章を皆が読んで批評し、プロである作家さんと出版社の方にも批評と書き方の注意点を教わるというもので、何人かの方が賞を受賞して出版へとこぎつけています。 昨年も『焔火』の吉村龍一さんが小説現代長編新人賞を受賞しています。 素人の書いたものを読んで批評するシステムですが、昨日も三人の作品(小説・エッセイ)を読ませてもらいました。 一人は新人賞に応募すれば一次選考に残るレベルの内容であるとの評価でしたが、他の二人の作品は、「えっ! こんな作品を提出したの?」というくらい私には驚きでした。 この講座はもう15年も続いているそうですが、まだたったの2回しか出席したことがない私なので、みなさんがどの程度のレベルなのか全くわかっていない。 「小説家になろう・・・」という名前がついてるほどの講座なので、文章を書くのが大好きで、いっぱい本を読んでいる人たちが参加しているのだろうから、それなりの人たちが集まっていると思っていたわけです。 だから文学作品もあまり読んでいない私は、とてもプロに見せられる文章など書けないと思い込んでいたため、講座の敷居が高いのではないかと躊躇して、何年も参加をためらっていたのです。 それなのにそれなのに、見せられた二人の文章は句読点もついていなかったり、まったく改行がなかったり、読んでも読んでも頭に入って来ないような内容で、「あらら・・・・・」と思ったのでした。 この程度でも有名作家さんに読んでもらえるのか。 私ならもっと上手に書けるかもしれないと思ってしまったのでした。 この二人の作品はほとんどの方から酷評でしたが、出版社や評論家の話を聞いていると、新人賞に応募してくる作品の半分は、日本語になっていないそうです。 つまり「てにをは」が出鱈目。もちろん句読点も改行もめちゃくちゃ。推敲もされていない。 だから一目見ただけで読まれることもなくボツだそうです。 有名な賞に、そういう方々でも大胆に応募するのか、と新たな驚きでした。 文藝春秋の方が、「ここだけの話ですが」と言って話してくれたのですが、 「湊かなえさんの作品は視点がめちゃくちゃです。そういう視点がずれてるものはけっこうあります」 湊さんの本は怖そうで一冊も読めない。映画『告白』は見たけれど。 良書を沢山読んでる出版社や評論家にとって、下手な文章など読みたくないだろうと思っていたけど、彼らはそれが仕事なのだから、お気の毒にになどと心配する必要はないみたいですね。 角田さんは出版社の方から依頼されて、初めて時代ものの『曽根崎心中』を書いたそうですが、とても嫌だったそうです。泣きながら書いたと言ってました。(笑) 平日は仕事場に通って9時~5時まで書いて、土日は絶対書かないという健康的な作家のようです。 忙しい作家はホテルに缶詰にされて書かされたとよく聞きましたが、それはもう昔の話でしょうかねぇ。 昨夜、ラーメン屋さんで20年ぶりくらいでナンパされたそうです。(笑) どんな人にナンパされたのか詳しく聞きたかったなぁ。 最後に私も角田さんに質問してみました。直接私を見て答えてくれたのが嬉しかった。 もちろん、新作『かなたの子』を買い、サインと握手もしてもらいました。 臆病で挑戦する前にひるんでしまう私は、「恥」をかきたくないという警戒心が強すぎて、一歩前へ出ることをためらってしまうために、これまでどれほど損をしてきたことか。 下手でもいい。小説を書いてみようという気持ちを膨らませて帰宅したのでした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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