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2014.02.17
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カテゴリ:本・読書
今年になって植松三十里さんの本を5冊読んだ。

先月おばさん四十八歳、小説家になりましたを読み、植松さんという歴史小説家を初めて知ったことがきっかけだった。

すでに何十冊も出版している方で、この題名から私が想像するようなタダのおばさんではなかった。

大学の史学科を卒業後、出版社に勤務、大学教授の旦那様の仕事でアメリカに住み、その間も子育てしながら、こまごまと何かを書き続けていて、結果、小説家になった方で、「書く」という特技を上手に開花させている。

男性ならあえて「おじさん小説家になりました」などと言わないので、植松さんの題名にはちょっと違和感を感じた。

しかし、この題名だから私がつい読んでしまったというわけだから、それが編集担当者と作者の狙いであったのだ。

狙われて罠にハマった結果、読破。

図書館から借りた2冊、彫残二人辛夷開花

Amazonに注文した2冊、調印の階段咸臨丸、サンフランシスコにて



植松さんが歴史に興味を持ったのは静岡県に住んでいた小学校4年生のときだという。

郷土史を学んで、明治維新で幕臣たちが静岡に移封されたのを知り、近所に徳川慶喜の屋敷跡の石碑もあったそうだ。

小説を書く際は、「歴史の中に埋もれている人、歴史的評価が低い人の代弁をしたい」と、あまり知られることがなかった人々を掘り起こしている。


       ★


彫残二人(中山義秀文学賞受賞)は、林子平の物語である。

林子平は、外人から世界の情勢と外国勢の国力を知り『三国通覧図説』『海国兵談』を著作し、海防の重要性を訴えた人だ。

外国の脅威から海防の必要性を説いた『海国兵談』は、出版に協力してくれる版元を見つけることができず、自ら版木を彫り、自費出版で刊行したが、両著はともに発禁処分が下され、版木も没収の処分を受け、仙台への禁固刑となり56歳で亡くなる。

罪人であったため、墓も建てられなかった悲しい人生だった。

『海国兵談』を刊行したのが1791年で、禁固されて亡くなったのが1973年。

その後、ロシアの往来が頻発し、1807年には北方の択捉島が襲撃され、更に50年後の1853年に、ペリーが浦賀に来航していることを考えれば、徳川幕府のお粗末さに改めて不快感を感じずにはいられなかった。

平和ボケしてる現在の日本人。国防は今でも重要な課題である。


       ★


辛夷開花は、明治初期の外交官であり、のちに初代文部大臣になった森有礼氏の妻、「お常」こと広瀬常の半生である。

幕末、旗本の娘に生まれた常は、その才能と容姿から開拓使女学校へ進み、縁あって旧薩摩藩士の森家に嫁ぎ、外交官となった夫を支え、北京、ロンドンなどの生活を送る。

不平等条約の是正の使命のもと、当時の時代と新政府の動きが綴られている。
そして二人の子をなし、帰国し鹿鳴館時代を迎える常の、意外な結末を描いている。

外交官夫人という華やかな立場で、日本という国のために陰ながら役割を果たしたが、幸せな人生ではなかった心のヒダを書けるのは、女性作家だからこそと思いながら読み終えた。



       ★


調印の階段は、昭和の外交官・重光葵(しげみつまもる)が、上海で朝鮮人テロによって片足を失いながらも、ロシア、イギリスに駐在し、戦争回避に全力を尽くすも力及ばず。

結局、戦争に負けた日本は屈辱の降伏文書に調印することになり、その不名誉な調印の全権を買って出たのが重光葵であった。そんな彼に光を当てた長編小説。

戦争を拡大し責任も取らない近衛文麿など、無責任な政府の様子が重光の外交官としての仕事から見えてくる。

この本もまた、別の角度から戦争を知ることができた。

本の内容と関係はないが、本を読んでる最中、都知事に立候補していたのが近衛文麿の孫の細川氏であった。

日本の戦争犯罪人は、ソ連コミンテルンに翻弄された近衛文麿と尾崎秀美らそのブレーン達である。

日本の総理が国政の場で、大東亜戦争を「侵略戦争」であり「間違った戦争である」と断じたのは細川氏だったが、間違った戦争を拡大したのは、あなたの祖父の近衛文麿ではないのか。

ソ連コミンテルンと中国共産党、そして日本の共産主義者が仕組んだ共産革命の為の愚かな戦争であり、スターリンの策謀にまんまと嵌ってしまった戦争だったのではないか。

現在では、アメリカの中枢部にも300人ものソ連共産党員が存在していたことがはっきりしている。

数日前に知ったのだが、朝鮮戦争に日本共産党員が参戦していたことを知り驚いた。

朝鮮戦争当時、クレムリンから当時のお金で55万ドル、いまの相場でいえば324億円もの大金を、戦費として与えられた日本共産党は武器を取り揃え、日本共産党軍を勝手に朝鮮半島に派遣していたそうだ。

つまり日本共産党員らは、少しも戦争を反省していなかったということではないか。



       ★


咸臨丸、サンフランシスコにて(歴史文学賞受賞)は、咸臨丸の乗船総数105名のうち、勝海舟や福沢諭吉ではなく、病気のためにサンフランシスコで亡くなった方と、船を陰で支えていた置き去りにされてしまった水夫たちの物語である。

異国の地で命を落とすことが、どんなに心細かったことか。
言葉も通じず、いつ帰れるのかもわからず、どんな気持ちで祖国を思っていたのか。


文庫化するにあたって咸臨丸のかたりべという別の作品も併載されている。
私はこちらの作品の史実の部分を興味深く読んだ。

2年前、東京の西ヶ原という駅で降りて、古河邸という洋館を見に行ったことがある。

バラ園の西洋の庭と日本庭園の両方があり、最近人気のスポットとなっている。
私が行ったのはちょうど桜の時期だったので、バラは咲いていなかったが。

この本を読み、ここが明治の元勲・陸奥宗光の屋敷で、次男が古河家の養子になった時、持参金代わりに与えたことによって、古河家のものとなったことを知った。

その美しい古河邸の屋敷と庭の管理の仕事についたのが、洋行帰りの文倉平次郎という人物で、のちに正式に古河鉱業の一社員となり、退職後に『幕末軍艦咸臨丸』という本を書いていた。

その平次郎を描いたのが『咸臨丸のかたりべ』である。

学者でも文筆家でもない文倉平次郎を、司馬遼太郎もエッセイの中で絶賛していたそうだ。

世に知られることのない人たちの情熱によって、私たちは今、昔の出来事を知ることができている。感謝である。


       ★


歴史が苦手な私は、教科書通りの説明を読んでも、つながりがわからない時がたびたびある。
そんな時は小説で流れをつかむことで、わかりやすくストンと頭に入ってくる。

植松さんは、ヒーローの立場からではなく、その側面や裏側にいる立場の人の気持ちを汲んで小説に仕立て上げていて、とても読みやすい文章である。

そして、書店で買った北の五稜星と、図書館から借りた群青 日本海軍の礎を築いた男(新田次郎文学賞受賞)の2冊が、読まれることを待っている。










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最終更新日  2015.04.09 14:29:17
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