テーマ:プロレス(30)
カテゴリ:訃報、消息
定期的なテレビ放送がないインディーズプロレスの雄、FMW(フロンティア・マーシャルアーツ・レスリング)でデスマッチファイターとして戦い抜いたターザン後藤氏が、5月29日死去した。 格闘技の素人の目にも、デスマッチの必死さは伝わりやすく、1989年に始まったFMWは瞬く間にファンを増やした。 格闘技であるプロレスは、対戦する相手がいないと成立しない。 1990年8月4日、東京・レールシティ汐留特設リング大会にて、日本中のプロレスファンが注目する中、大仁田厚vsターザン後藤の「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」が行われた。 ![]() プロレス・マスコミからも危険性について懸念の声が上がる中開催された初の「ノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ」は、大仁田とともに、ターザン後藤なしには成立しなかった。 1990年のプロレス大賞では、新日本プロレス、全日本プロレスの当時2大メジャー団体を抑えてプロレス大賞MVPとベストバウト(年間最高試合)をダブル受賞し、FMWは第3のプロレス団体としての地位を確固たるものにした。 凄惨なデスマッチを看板としていたが、新日本プロレスや全日本プロレスが大ビジネスに感じられたのに対し、FMWは「大仁田ファミリー」の雰囲気が強く感じられた。団体の維持・発展、所属レスラーの人生・生活もデスマッチだったのだろう。2022年5月30日 東スポWeb FMWやIWAジャパンなどでデスマッチファイターとして活躍したプロレスラーのターザン後藤さん(本名・後藤政二)が、29日午後6時50分に死去していたことがわかった。58歳だった。 盟友だったミスター雁之助さん(53)によると、30日の夕方に関係者を通じて連絡があったという。関係者には、親族からすでに通夜と告別式の日程が伝えられている。 雁之助さんは「いまだに信じられないし、実感が湧かない。後藤さんに厳しく教えてもらったおかげで、長年できたことは財産です。感謝しかありません。ご冥福をお祈りします」と沈痛な声で語った。 後藤さんは静岡・島田市出身で、大相撲から全日本プロレス入り。1981年2月の越中詩郎戦でデビューした。 海外遠征を経て、89年に邪道・大仁田厚が旗揚げしたFMWに参戦。「鬼神」と呼ばれ、デスマッチファイターとして名を上げた。大仁田とは「ノーロープ有刺鉄線電流爆破マッチ」で死闘を繰り広げ、90年には東京スポーツ新聞社制定プロレス大賞「年間最高試合賞」を獲得した。 だが、95年、大仁田の最初の引退試合が控える中で、FMWを離脱。その後はIWAジャパンに移籍して活躍し「新宿2丁目劇場」でもコアな人気を博した。 自身で東京・台東区浅草に「浅草インディーズアリーナ」を設立し、試合を開催するなどインディ団体の発展に尽力した。
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最終更新日
2022年06月06日 16時00分05秒
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