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2023年02月06日
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テーマ:F1(102)
カテゴリ:訃報、消息
 ヨーロッパF2選手権で自身が設計したElf2で1976年のシリーズチャンピオンになったJ.P.ジャブイーユ氏が死去した。
 当時のF2選手権はF3選手権とともにF1ドライバーへの登竜門だった。
     ​
2023-02-03 時事通信ニュース
 フォーミュラワン(F1、F1世界選手権)でルノーに初勝利をもたらしたフランス人ドライバー、ジャンピエール・ジャブイーユ氏が死去したと、家族が2日にAFPの取材で明らかにした。80歳だった。
 ジャブイーユ氏は現役時代、1975年から1980年にかけてF1で49戦に出走し、ルノー時代の1979年にフランスGPで初優勝すると、翌年のオーストリアGPでも勝利を飾った。ポールポジションは6回を数えた。
 また、ルマン24時間耐久レースにも参戦し、4度にわたって3位を記録した。
【翻訳編集AFPBB News】
  ―  引用終り  ―
     ​​​
 ジャン=ピエール・アラン・ジャブイーユ氏は 1942年10月1日 フランス・パリ市生まれ。
 フランスF3やヨーロッパF2に参戦し、1976年にヨーロッパF2選手権でシリーズ・チャンピオンを獲得。
 1972年から1974年までマーチのF2全盛期のF2にアルピーヌA367で参戦。1975年から1976年までジャブイーユ自身が設計したElf2で参戦した。アルピーヌA367もElf2も、シャシーは数少ない鋼管スペースフレームだった。
     ​
 1975年ジャブイーユは5位。シリーズ・チャンピオンはマルティーニを駆けるジャック・ラフィットで翌年、F1に新規参戦したリジェのエースドライバーになっている。ラフィットはジャブイーユと義兄弟(妻が姉妹)。
 1975年2位のパトリック・タンベイは1977年にサーティースからF1に参戦した。
     ​
 ジャブイーユは、F2参戦中の1974年、第9戦フランスGPでウィリアムズから、第12戦オーストリアGPでサーティースからF1に参戦するもいずれも予選落ちした。
     
 1975年、第9戦フランスGPにティレルから参戦、予選を21位で通過しF1デビューを果たし、決勝も12位で完走した。
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最終更新日  2023年02月06日 06時00分07秒
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