テーマ:オーケストラ(99)
カテゴリ:訃報、消息
2024年2月6日、交響楽団桂冠の指揮者の小澤征爾氏が東京都内の自宅で心不全のため死去。88歳。訃報は9日に所属事務所から報じられた。 1935年9月1日、満洲国奉天省奉天市(現:中華人民共和国遼寧省瀋陽市)で生まれ。 1951年、成城学園高校に入学して齋藤秀雄の指揮教室に入門。 1952年、桐朋女子高校音楽科へ第1期生として入学。同門に秋山和慶、山本直純、羽仁協子、久山恵子がいる。 1955年に齋藤が教授を務める桐朋学園短期大学音楽学部へ進学。 1957年夏に卒業。 1957年頃から齋藤の紹介で群馬交響楽団で指揮棒を振り始めて北海道演奏旅行で指揮者を担当。1957年12月に日本フィルハーモニー交響楽団第5回定期演奏会のラヴェル『子供と魔法』で、渡邉暁雄の下で副指揮者を務める。 1958年に成城学園時代の同級生の父である水野成夫らの援助で渡欧資金を調達する。 1959年2月1日から、スクーター、ギターとともに貨物船で単身フランスへ渡る 1950年、パリ滞在中、第9回ブザンソン国際指揮者コンクール第1位。ヨーロッパのオーケストラに多数客演。カラヤン指揮者コンクール第1位。指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンに師事。 1960年、アメリカ・ボストン郊外で開催されたバークシャー音楽祭(現:タングルウッド音楽祭)でクーセヴィツキー賞を受賞。指揮者のシャルル・ミュンシュに師事。 1961年、ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者に就任。指揮者のレナード・バーンスタインに師事。同年ニューヨーク・フィルの来日公演に同行。カラヤン、バーンスタインとの親交は生涯に渡り築かれた。 …ボストン交響楽団などで日本人初の音楽監督 2024/02/09 讀賣新聞オンライン … (略) … 旧満州(現中国東北部)生まれ。10代から指揮を斎藤秀雄に学び、1959年、フランスのブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。20世紀を代表する指揮者シャルル・ミュンシュやヘルベルト・フォン・カラヤン、レナード・バーンスタインに師事。楽譜の深い読み込みに支えられた綿密な解釈と全身を使った力強い指揮で評価を確立した。 61~62年にニューヨーク・フィルの副指揮者を務めて以降、米サンフランシスコ響の音楽監督などを歴任。73年に米5大オーケストラの一角、ボストン響の音楽監督に就き、2002年まで務めた。同年~10年には、世界屈指のオペラ劇場、ウィーン国立歌劇場の音楽監督として活躍。ウィーン・フィルやベルリンフィルにも度々客演した。 国内では新日本フィルハーモニー交響楽団や水戸室内管弦楽団と深く関わった。恩師・斎藤の薫陶を受けた奏者らで作ったサイトウ・キネン・オーケストラとの活動にも力を注ぎ、1992年に長野県松本市で始めた音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」(2015年に「セイジ・オザワ松本フェスティバル」に改称)の総監督を務めた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年03月05日 16時00分10秒
コメント(0) | コメントを書く
[訃報、消息] カテゴリの最新記事
|
|