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カテゴリ:エッセイ
体罰の思い出 世間では体罰の問題で騒がれています。私は現在の小学校が国民学校といわれた次代に育ったものですから体罰は日常茶飯事に行われていたように記憶しています。 その小学校時代の体罰を思い出したので、書き留めてみます。 まず、小学校の一年生のとき、授業に飽きたので窓の外を見るという余所見をしたので、担任の女教師に耳を引っ張られて、「廊下に出て行きなさい」といわれたが、反発して出て行かなかったが、そのとき引っ張られた耳が大変痛かったのを思い出します。 耳が千切れてしまうのではないかと思ったほどでした。 次が、三年生のとき、これも女教師に頬を叩かれた思い出です。このときはなぜ叩かれたたかは全く思い出せません。 そのときの気持ちは「なぜ叩かれたのだろう?」先生には口答えは絶対にできない時代でしたから、頬を平手で打たれても、黙ってそれを受けたままでした。覚えているのは、冬のことで、その先生の手には包帯が巻かれていました。しもやけか何かで手を傷めていたのだろうと思います。学芸会の稽古をしていたときのことで、数人の児童が一緒にいました。その中で、何か私が先生の癇に障ったことを言ったのだったかと思います。それがいけないというのでしょう。えらい剣幕で叩かれたのです。しかし、包帯を巻いた手でしたから、痛かったということは覚えていません。でも、間違いなく体罰だったのです。 次は、小学校四年生のとき、数学の授業をやっていて、先生の話に飽きて余所見をしたら、授業で使っていた教師用の大きな木板で作られた三角定規の角で頭をこつんと叩かれた。木の角であったのでこの時は非常に痛かったが傷はできなかったので、それほどひどく力は入っていなかったのでしょう。この教師は男の先生でした。この教師は時々生徒を教壇の脇に立たせて平手打ちで生徒の頬を叩いていた。 こんなことが平気で行われた軍国時代だったのです。 小学校五年六年は優等生で、先生にほめられたことはあっても罰を受けたことは一度もありませんでした。 中学校になってからの思い出に、クラスの女生徒数人を男生徒数人で、数人といっても少人数のクラスの殆どで全員に近い人数で、「生意気な女だ、殴っちゃおう!}とクラスのボスが、クラスの男生徒にけしかけて、その数人の女生徒を家庭科教室に誘いこんで、男生徒が次々と一人づつ、その三人の女生徒に、たぶん胴体などをこぶしで叩いたのであろうと覚えています。私は、ボスの脅かしが怖かったので一緒にその部屋に行ったが、殴ることはいけないと考えていたので、殴ることはしなかった。 このことが教師に発覚されて、その家庭科の教室に、男子生徒全員が呼ばれて、一人づつ、その教師に平手で頬を叩かれた。私は「女生徒を殴らなかった」とその教師に伝えたので、平手打ちはまぬかれた。その後で裏切り者とボスに殴られるのを覚悟していたが、ボスには殴られなかった。 悪いことはできないもので、そのボスもボスの取り巻きの数人はすでにこの世にはいない。 いま考えるとそのボスたちに会いたいと思っても会うことができないのが残念です。体罰はよくないことかもしれませんが、体罰が日常茶飯事に行われていた時代の懐かしい思い出ばかりです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 6, 2013 09:49:36 AM
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