2-1=3
『蟹工船』が、ワーキングプアやフリーター層に広がっている。私はずいぶん前に読んだことがあるが、現代の若者が共感するにはあまりに時代差があるのではないだろうか。あの本では雇い主が悪辣な人物として描かれているが、あれをもって資本家や経営者を一般化するのは、若者言葉を借りて言えば「ありえない」ことだ。しかも、最後は確か海軍が介入してきて、明らかに国家権力への敵意を植え付けようとしている。しかし、労働者の連帯感を強めるため、共産主義政党の宣伝媒体として考案されたのが「プロレタリア文学」であることを考えれば、主義に忠実である点は名作だ。プロレタリア文学は優れた政治教育手段である。興味がある人は、徳永直(すなお)の『太陽のない町』や、細井和喜蔵の『女工哀史』も一緒に読んでみるといいだろう。そもそも、「ワーキング・プア」なる人々は、自分たちを不当労働に搾取される被害者だと言って正義を主張するが、甘えるのもいい加減にすべきだ。だいたい、何が「ワーキング」だ。その前に「Not」を付けるのを忘れていないか?バイトでも派遣でも、ずっと働いていれば、それが生計を立てる労働にはなりえないことくらい、誰でも気付くだろう。期間雇用はあくまで補完的、従属的な働き方であって、目的ではなく手段だということくらい、分かっているはずだ。職場には、真面目に頑張って貯金し、バイトや派遣という勤務条件を敢えて選び、目的を果たして正社員になった人、借金を返済した人も見ているだろう。低賃金、重労働だと言うが、歯を食いしばれば月に\5,000~\10,000は貯金できるだろう。金がないと言いつつ、毎日缶ジュースやお菓子に数百円を使っているではないか。空き時間は携帯電話やゲームで遊んでいるではないか。どんなに時間が空いたって、本の一冊さえ自費で買おうとしないではないか。自分の怠慢と嫉妬を覆い隠すため、「経営陣」や「派遣会社」に責任転嫁して、恥ずかしくないのだろうか?怠けて、計画もそれを遂行する意志もなく、「自称弱者」を演じて、良心が痛まないのだろうか?自称弱者は、真の弱者ではない。法律や制度で免税、減税の措置を受けておきながら、何が「弱者」だ。弱者とは法律や制度で守られない者、法律や制度で搾取され、社会から偏見と中傷を浴びる者を言うのだ。日本の弱者は金持ちだ。法律、税制、世論、メディア…こんなに毎日いじめられる人はいないからだ。働いているかいないかは、職場の姿だけで決まるのではない。誰でも、本気でひとかどの人間になろうと思ったら、理想の自分と現実の自分との巨大な摩擦に耐えなければならない。受験、資格取得、就職、起業しかり。バイトやフリーターから社長になったような人だって、たくさんいる。丁稚や孤児から大事業家になった人々もいる。わが国のプロレタリア文学が本当に「労働の美しさ」を訴えたいなら、労働で成功した人々を扱うべきであって、労働や経営に不当な誤解や偏見を注入するような書き方をすべきではあるまい。2008年にもなって、若者に『蟹工船』が流行するなんて、わが国の教育がマルクス主義に立脚していることがバレて、恥ずかしいではないか。義務教育が共産主義のプロパガンダであることが、「図らずも暴露」されてしまうではないか。共産主義者の頭の中にある唯一の数式は…「2―1=3」だ。売り上げから控除された利益も「おれのもの」だからだ。こんな程度の職業観じゃ、「蟹工船」に共感するのもやむを得まい。あぁ…どうせなら、「オレが最高の売上を叩き出す職場を作ってやる!」くらいの覇気を見せてくれれば…。おまえはそれでも日本人か!と言いたくなるね、おじさんは。情けない、情けない。一休み、一休み…。