近現代08、あと1ヶ月
ずっと動画を作っていると、ファイルの容量で、だいたいレンダリングにどれくらいの時間がかかるのかが分かってくる。正確に分かるわけではないが、どれもけっこうな時間がかかるので、「ながら作業」には持って来いの時間だ。そういうこともあって、今日は久しぶりにPCでブログを書いている。最近よく考えるのは、近現代史勉強会があと2回になったことである。思い出せば、2007年の12月に全ての文献を選び終え、2008年の2月に案内し、4月から開始して、一度も欠席することなく66本の文献を読み、それがあと2冊で終わるのだ。FUN6年の歴史でも、ここまで大型、長期間の講義をやったことはなかった。それができたのも、松下さん、竹中君という、有能で意欲ある二人のリーダーが率先してみんなを誘い、まとめ、盛り上げてきたからだし、さらにさかのぼれば、濱山君が後輩にバトンをつないでくれたからである。私がやる気を失えば、卒業生たち、さらにさかのぼれば安田君の思い出までフイにすることになる。今を大事にすることが、過去と未来を守ることでもある。その「今」を見つめる上で、歴史以上の学びはない。そんな思いで、日本のどこにも存在しないくらい、深く楽しく学べる場を作ろうと決意し、その最初の年が終わろうとしている。FUNの講義の大半は、○○○○の打破から生れている。それは、「唯物史観」だ。唯物史観とは、主観を客観と誤認させ、思想と魂を徐々に蝕んでいく放射能のようなものだ。営業、マネー、会計、スピーチ、タイム…数多くの講義は、ただ唯物史観的なモノの見方を修正し、あるがままに物事と心を見つめる方法論を示したものに過ぎない。それは、近現代史勉強会に来れば、半年ほどで感得できる事実だ。だからこそ、根本の原点である近現代史勉強会には、どうしても参加してほしかった。その勉強会も、発足3年目で、ようやくここまでの規模と質にこぎつけることができた。600を超える講義を作ってきた私だが、この勉強会は、自分でも他とは段違いにレベルが高いと思っているし、「役」という言葉がかすむほど、役に立つ。おそらく、「役に立つかどうか」などという、近視的かつ功利的な動機も忘れるだろう。どの講座も、和菓子のように、精魂込めて作ってきた子供たちなので、作成者としてはどれも等しく愛着があるが、やはり、近現代だけは別格といわなければならない。他の講座は、経験や知識に裏打ちされている分、私も「教えさせていただく」という心構えで臨んでいるが、近現代だけは、「ともに学ぶ」という姿勢だ。講義とは言っても、方法論や実務対策ではなく、近現代の講義は単に、私の書評をレジュメ化して読み上げているだけだ。本職の歴史家から見れば奇妙キテレツな資料かもしれないが、私は生活の実感に即して毎週書評を書いているし、これを学んだからといって仕事や生活がすぐに明確に改善するわけでもないので、この勉強会の費用は最も安い。最初だけは5,300円のコピー代がかかるが、これは44回分であり、私の講義謝礼は1回25円だ。そして、文献や資料、レジュメの準備は最も手間がかかり、最も大変だ。しかし、それでも絶対に学生とともに歴史を学びたかった。学生では絶対に探せず、買えず、読めない一級の文献を一年間読み続けてきたら、一体どれほどすごい日本人が社会に輩出されるか、それを見たかった。近現代こそは、私が最も大切にしたい勉強会だし、それを一年間やり抜いて、最近はそれがたまらなく嬉しい。たった一年の継続は、私にとっては別に大したことではなく、期間からすれば問題にならないくらい短いが、一番共有したかったものを共有できた一年の充実ぶりは、期間で計れるものではない。言葉は単純だが、とにかく嬉しくてたまらないし、近年まれに味わう達成感だ。学生たちも、よくついてきてくれた。ありがたい限りである。文献はあと2冊だが、最後の2回は「書評編」と「プレゼン編」に分け、一年の学びを盛大に共有したいと思っている。この4週間は、生涯に残る至福のひと時になるだろう。あまり個人的な楽しみは考えたことはないサークルだが、それを忘れて打ち込んだ一年間で、学生たちに本物の楽しさをプレゼントしてもらった。それは、「われわれはともに日本人だ」という実感だ。言葉にすれば素朴だが、私はどうしても、この実感を分かち合える学びの場を作りたかった。そして、それが今、実現している。先日、知人に「いつまでやるの?」と言われてしゃーしかったので、「死ぬまで」と答えた。歴史の学びがない一週間なんて、考えられない。私はこういう場を、十五年以上待望してきた。そして、いつか来るべき時に備えて、古本を集め、読み、勉強を続けてきた。そこまでして実現させた学びの場を、あきらめてたまるか。「日本に生まれて嬉しい」「自分の生まれた国は、なんて素晴らしい国なんだ」若者がこんなことを真顔で言う姿を見ていると、私はもう、人生はこれで終わってもいいとさえ思う。が、まだ見ぬ後輩たちも、おそらくこんな学びを待望しているだろうと信じて、来年も続けていく。明日は「国体問答」。内容的には、参加者にはなじみのものだろうが、今読めば改めて感じるところがあるはずだ。明日はどんな共感、疑問、発見が生まれるだろうか。火曜の夜は、遠足前の子供のような気分だ。