親子
久しぶりに、このブログのアクセス数を見てみたら、今日は260人ほど訪れていた。mai placeの新HPが口コミで広がったのだろうか。普段よりちょっと増えた。このブログ「職の精神史」は、最近は「釣りの精神史」にタイトルを変えた方がよいのではないかと思うこともあるが、そもそもは『仕事のとらえ方』、つまり職業観について自由に書きつつ、プライベートな日記も書こう、という目的で始めたものだ。開設日は「2008年4月29日」。今日までの経過日数は「158日」。今日までの訪問者数は「31,741人」。開設日から今日まで、毎日の平均訪問者数は「202人/日」で、あと約1ヶ月で半年になるが、何の宣伝もしていない割には、けっこうな数だと思う。まるで、サビキ釣りのような感覚だ。さて、「仕事」について教える仕事を生涯の使命に選んだ私だが、一体、どうしてそういうことを考えるようになったかと言うと、理由は色々あって語りつくせない。ただ、一つ決定的に言える影響は、両親の教育だ。別に意識していないのだが、働き始めてから、「一般の人と考え方が違いますね」と言われることが多いと感じる。私も私で、「一般の人は、どうして自分と考え方が違うのだろうか」と素朴な疑問を持って育ってきた。社会に出て、いわゆる一般のサラリーマンは、ほぼ全てといっていいほど社会主義を信奉していることが分かったから、考え方の違いもよく理解できるようになったのだが、それまでは、わが家の育て方はおかしいのではないか、と思ったことも何度かあった。私が日頃の生活の話をあまりしないせいか、「家族は何をしているのか」と聞かれることもある。私には母と弟しかいない。弟は私と同じで、経営者だ。業界はまったく違うが、60人の従業員を率いる社長だ。母も経営者だったし、今また、57歳で新しい事業を立ち上げようと、日々マーケティング活動に走り回っている。つまり、私の家族は、三人とも「社長」なのだ。振り返れば、祖父も銀行の役員だったし、叔父はコンサルティング会社と出版社の社長だし、叔母は薬品会社の社長だった。他はみんな医者か官僚で、とにかく、私は幼い頃から、経営者的な発想以外は身に付かないような環境で育ってきた。祖母や母は、「公務員だけは絶対になるな」と私に言い続けた。「男は何か新しいことを残さないと、生きる意味がないよ!」…まぁ、偏った教育だった。だから、何か体系的な教育を受けたわけではないが、家庭環境や親族の話を聞いているだけで、肌でそういう考え方を身につけていたとしか言いようがない。そうでなければ、実質的には「小卒」の私が、経営者的な発想に親しめている理由が見つからない。しかし、その中でほとんどと言っていいほど、圧倒的な影響を受けたのは、13歳から育ててもらった母親だ。子供の頃は…私 いかん、宿題が終わらん。母 誰かにやってもらい。私 でも、自分でやらんといかんやろ。母 宿題なんて、優等生にやらせればいいとよ。誰に頼めば100点取ってくれるか、その人にどう頼んだら引き受けてくれるか、それを考えり。私 うぅ…。母 でっかい仕事をしたいなら、自分の仕事を減らして全部人にやらせないかん。信じて任せて、成功したら「おかげで助かったよ」って言えるようにならんと。私 そういうもんかなぁ…。母 そういうもんたい。優等生は、なるもんじゃなくて雇うものよ。宿題なんてしなくていいから、他人の使い方を勉強しなさい。と、万事がこの調子で、実に奇抜な会話だった。母はピアノ教室を経営しており、マーケティングや営業、経営についての素養は、みな、母から実地で習ったものと言ってよいと思う。といっても、仕事を教えてもらったのではなく、子供の頃からビラ配りや集客を手伝っていたので、いつの間にか「客は自分で作るもの」という発想が身についていた。高校の頃は、進路ガイダンスで「おまえ、就職か?」と先生に聞かれ、「就職?絶対したくありません」と答えたことがある。「じゃあ、進学か?」「違います」「じゃあ、何だ」「自分で事業をやりたいですね」「お、おい!事業なんて、倒産したらどうするんだ!会社を作って自分で仕事するなんて、ものすごく危ないことなんだぞ!悪いことは言わないから、地元の大手企業でも受けなさい」(「誰が受けるか!」)…普通高校の先生は「起業=倒産」と考える人が多かった。最近は「小島さんは、どうしてそんな考え方になったんですか?」と、まるで私が突然変異した生き物であるかのように不思議がられることも多いので、ちょっと経緯を思い返してみた。目下、mai placeの創業のお手伝いで若干ながら忙しい私だが、実は母の新事業も手伝っている。といっても、ほとんどはデータ入力やデザイン、あるいはビジネス書の紹介ばかりだが。母はこの1、2年ほど、私の貯金を軍資金にしながら、中高年向け派遣社員を多く派遣している中小規模の事業所に登録し、自ら様々な職場で働いてきて、同世代の中高年の心理を観察してきたらしい。そして、最近、その調査結果をまとめ、これからヒットする事業を考えたようで、ここ数日はいつも、いきなりメールが来て、「あれ出来た?」、「これ作って」と一方通行の依頼を受けている。母がこれからやろうとしているのは、「高齢者向けのピアノ教室」だ。人生のあらゆる感情をテーマに80曲を作曲し、右手だけ、左手だけ、両手で、と、少しずつレッスンを重ねながら、頭脳と感情を刺激しながら、老化を「治療」、「防止」するより先に「予防」してしまおう、という着想だ。だから最近は、100円ショップで「おえかき帳」を買ったり、習字を練習していたり、大金をつぎ込んで楽譜を買い込んだりしていたのか…。昔から作曲が好きで、一冊の本を出したこともある母だが、テキストやレッスン方法をゼロから自分で編み出し、曲まで自作してしまう姿を見ていると、「この親にしてこの子あり」と感じずにはいられない。大月さんも卒業生も、学生も、私のやっていることは全て「オリジナル」だと思っているし、私だって数年前まではそう思っていたのだが、母に話すと、「なんマネしようとね」と笑われた。わが子が、「職業教育」という分野で、自分と似たような方法で若者たちを教えているのが、面白く嬉しかったそうだ。私はピアノを教えているのではないが、「職」という鍵盤を美しくたたき、社会と自分のハーモニーを奏でる方法を教えているようなもので、実質的にはピアノと同じだ。そう言えば、20年前に亡くなった父は、私が5歳になった時、「おまえは指揮者になれ」と、指揮棒を買ってくれた。これまた、変なプレゼントで、子供には全く嬉しくなく、釣り竿としても使えず、「プラレールが欲しかった」とべそをかいた記憶がある。その思い出を母に話すと、「世の中の指揮者になって、人々を導きなさい、って意味やろ」と言ってくれた。おそらく、次に来る依頼は、「この楽譜と絵を、全部パソコンで作って」というものだろう。かなりの重労働になるだろうが、親の頼みだけに断ることはできない。私は「無配の株主」になることが確定しているが、音楽教育事業には全く知識がないので、できる範囲で応援しながら、色々学ばせてもらおう。ということで、母の事業計画書(教科書)の文章を校正し、先ほど、イラストレータで仕上げた。夜釣りの時間は、これにて搾取された。++++++++++++++++++++++++++【事業計画】シニア・ピアノ~心の健康を保つレッスン・プログラム~■はじめに2008年、今、まさに日本は恐るべき高齢化社会に向かっております。日本人の四分の一が65歳以上という人口構造になる時代が、間もなくやってこようとしております。私は現在57歳、戦後のベビーブームの直後の世代の一人として、心身ともに元気に歳を重ねてゆく仲間を増やしたい、という切なる想いから、この本の構想を考えました。ピアノ教育という分野で、この危機の時代に、大きな使命感を持ってやるべき時が来たのでは、という思いがいたします。高齢者の大きな不安の一つに「脳の老化」があります。ピアノを弾くとは、「指を動かす」ということです。脳の健康を保つためには、指先を動かすことが一つの重要なポイントだと言われています。この、指先の動きに合わせて「感情の動き」を加えてゆく、これこそピアノ教育の得意とする分野ではないでしょうか。感情表現しやすい簡単なフレーズを作り、それを弾くことで、様々な気持ちを意識して確認することができ、また、様々な感情を楽しむことができます。私たちピアノ教育者は、これから高齢者の脳の老化という不安に向き合い、優しく手を取って、健康な脳づくりのお手伝いができるということに喜びと使命感を抱き、一人でも多くの健康な高齢者を増やしたいと願っています。そのための一助として、「シニア・ピアノ~心の健康を保つレッスン・プログラム~『感情別ワン・フレーズのコレクション』」をお役に立てていただければ幸いです。ピアノの練習といえば、今までは子供のための情操教育や、演奏を目的とする練習が中心でした。しかし、私が今からやっていこうと思っていることは、分かりやすく言えば「ボケ予防」のためのピアノです。既に始まってから「防止」するのではなく、そうなる前に「予防」する積極的なレッスンです。ピアノを弾くことで、指を動かす動作があり、それに伴う「脳への刺激」や「感情への働きかけ」へと広がりが期待できます。対象とする生徒は、初めてピアノに接する50歳以上の『脳の老化に不安を持つ男女』です。家にピアノがなくてもレッスンを楽しめるように、レッスンは通って習う形式であり、簡単な旋律ばかりです。最初は右手だけで弾いてみて、それから成長を楽しんでいけるように、簡単な旋律でも気持ちを込められ、「安心」、「用心」、「幸福」、「驚き」、「不安」、「調和」、「遊び」、「冒険」、「希望」など、感情の動きを楽しめるような曲を作曲しました。今まで生きて味わってきたいっぱいの思い出がよみがえるように作曲しました。簡単な4小節の旋律を弾きながら、思いっきり思い出に浸って、幸福な時間を過ごしてみませんか?+++++++++++++++++++++微力ながら、私も息子として、新事業を手伝わせてもらおう。…と思った今日は、甥っ子の8歳の誕生日だった。