私の就活論 No.1 ぶれない軸
どうもお久しぶりです。9ヶ月ぶりに本ブログに戻ってきました。昨日は、有り難いことに、学生さん数名から「何か書かないんですか」と聞かれました。リクエストを頂くのは嬉しいので、ちょっと考えた結果、僕の好きな福田恒存さんの著書の中でも、毎年特に学生に人気の『私の幸福論』(筑摩文庫)をもじって、『私の就活論』と題して書いていこうと思います。テーマや質問もどんどん募集していきたいと思っているので、ぜひ、コメント欄に書いていただければ幸いです。さて、初回は時々聞かれる「僕の昔の就活」について。僕は皆さんより2年早く働き始めたし、また、会社勤めは3年しか経験したことがなく、あとの10年は全部自分のアイデアだけで食べていて、他人から商品を卸してもらったことも作ってもらったこともなく、自由気ままに生きている人間です。ですから、皆さんは、今後就活をしたり、また、社会人になったりしても、こんなに精神状態が自由な「年上の知り合い」には、あまり会えないと思います。したがって、僕の意見は、偏っているかもしれないし、かなり特徴的だと思います。以下は、就活コースや新人コースでお話している論理的、客観的事実ではなく、僕の「個人的意見」だと思って読んで下さい。さて、僕が皆さんの頃に考えていた「就活」とは…。はっきり言って、僕が「仕事の軸」を決めたのは皆さんの大半より早いと思います。といっても、まだ幼稚な軸ですが、僕は15、16歳の頃には「社長になる」と考えていました。というより、「社長以外、ならない」と考えていました。その頃、社長なるものが何なのか、具体的に知っていたわけではありませんが、とにかく、僕は「お金と時間の自由」というものに猛烈に憧れていました。僕がこの世で「絶対に嫌だ」と思ったのは、通勤の満員電車やバスで、どんな待遇や幸福があろうが、朝からあんな状態で、あんな顔で通勤するような将来は絶対に嫌だと思っていました。また、僕が嫌だったのは「他人に給料を決められること」です。そして、「他人に勤務地や職種を決められること」です。あるいは、「他人に将来性や選択肢を決められること」です。わがままに思えるかもしれませんが、正直に、中学、高校の頃の僕は、先に「絶対になりたくないもの、やりたくないこと」を先に考えていました。だから、必然的に選択肢から外れたのは、「サラリーマン」と「公務員」です。僕は個人的には、安定が嫌いな人間です。正しくは、他人が作った安定は嫌いな人間です。当時は安定と聞くと、自分が自分じゃなくなるような気がしていました。こういう自己分析は昔から体験的にやっていて、例えば、僕は教室で、「もし間違っていたら」と他人の顔色を窺って「挙手しない」ということは絶対にしませんでした。「分かった!」と思えば間違っても、誰も手を挙げなくても手を挙げるし、また、みんなが「分かった」と言っても、自分が分からなければ、馬鹿と言われようがアホと言われようが「分かりません」と言いました。全員が無意識に賛成する議題でも、納得できなければ、たった一人でも絶対に手を挙げません。「なんで、分かるのに手を挙げないのか」「なんで、そう思わないのに手を挙げるのか」僕にとって、クラスの群衆こそ、いつも興味深い観察対象で、こういうこともあって、僕は、全体の雰囲気に合わせて意見を変える人間が昔から不思議なのです。僕は授業中、先生の出す問題は全く解けませんでしたが、一人でぼーっと、「なんで、日本の中学生、高校生は、授業中に、答えが分かっているのに手を挙げないのか」「なんで、日本の中高生は、何か意思表示を求められると、自分の心よりは他人の顔色を窺って迎合するのか」という問題ばかり考えていました。正解がある問いじゃないし、解いても点数も偏差値も全く上がらない「無駄」な問いですが、まぁ、僕という人間は昔からこんな感じで、学校の中に考えるテーマを探しては、勝手に問題を作ってあれこれ考えるのが好きな子供でした。ということで、自分の意見は絶対に曲げないし、周囲に合わせるのは苦手な上に嫌いなので、嫌われる時はすごく嫌われます。しかも、嫌われることを嫌と思っていないので、平気で憎まれ口も叩きます。とうてい、会社勤めに向くような性格ではありません。僕は「社長向き」な性格であるかどうかは別として、「勤めには向かない」という性格であったことは確実です。こういうこともあって、通勤電車のサラリーマンの顔をじーっと眺めては、あんな人生だけは送りたくないと考えていたのです。