語学の効用とは
今日は能力面における外国語の効用について。学歴も専門知識もない私が、外国語とその効果によって得たところは大きい。学生時代に外国語の意義をしっかりと理解しておけば、旅行以外の発揮対象を見つけることができ、外国語は外国に行く時や外国人と触れ合う時だけではなく、それ以外の場所でも役立つことが理解できるだろう。私はFUNの顧問を引き受けた時から、(1)経済教育、(2)職業教育、(3)歴史教育の三つを軸にやってきたが、未だ道半ば、教えたい事を全て講座にできたわけではない。もちろん、今までの講座も本気でやってきたし、その成果に悔いはないが、実務に欠かせないパソコン、語学、会計の本格的な講座も将来はどんどん作っていきたい。まず、私が操れる語学は、母国語の日本語を除いて、英・韓・マレー・インドネシア語だ。この四ヶ国語は、旅行や生活はもちろん、討論やエッセイに使える。特に韓国語は、FUNの講義が行なえるくらいの会話力・作文力がある。マレー語、インドネシア語は長年使っていないから、いくらかなまっているだろうが、それでも、ちょっと勉強すると復活するだろう。その他、タイ文字やロシアのキリル文字も読める。ドイツ語やフランス語の文法、格変化もある程度分かるし、簡単な文章なら大意も分かる。私が挫折したのは、ベンガル語とアラビア語だ。こう書いてくると、いかにもたくさんの言葉が様々な程度でできることを自慢しているようであるが、私が自慢したいのは語学の数ではなく、「参考書以外にお金をかけていないこと」だ。はっきり言って、中国語や韓国語で「1時間=3,000円」も取るのはぼったくりだ。私は、その十分の一の金額で、語学学校の一年分の内容の五倍は学ぶことができるし、実際、それを実現してきた。しかも、その内容は、学習から10年以上たつ今も、忘れていない。だから私は、学生の皆さんに外国語を教えたい。いや、外国語は「おまけ」に過ぎず、私が教えたいのは「外国語の学び方」だ。なぜなら、外国語の学び方を観察できるようになれば、勉強に際して、自分が何をどう学べば良いかが、非常に見えやすくなるからだ。営業でも作文でも講義でも講演でも、脳内で起こる最も基本的な作用は「翻訳」である。翻訳対象は、語句、意味、意義、感情など様々だが、外国語と会計を学ぶと、その変換スピードが格段に上がる。以下、私が長年の外国語学習によって、間接的ではあるが、高められた能力について説明してみよう。(1)記憶力記憶力とは「覚える力」ではなく、「思い出す力」である。そして、外国語の作文や翻訳は、この記憶力を正確に、丁寧に鍛えてくれる。たとえば私の「韓国語塾」では、学生が分からない単語を質問してきても、決して意味を教えない。韓国語は「陰陽哲学」に支配された文法、字形構造を持っているので、前後の語句や語形について「直前のチョッタがチョウンになってるってことは?」、「パッチムがmになってるってことは?」などと小さな質問を連発し、想起を促す。すると学生も、分からない単語に遭遇しても、簡単には辞書を引かなくなる。私に言わせれば、分からない語句や用語があったとき、すぐに電子辞書を引くあの習慣が、どれだけ記憶力を阻害しているかと思う。一番役立つ辞書は、頭の中にインストールされているではないか。想像、想起という本来の用途で頭脳を使えば、「覚える」という、記憶の一部分に過ぎない能力も高まる。したがって、外国語は、自分が物事を正確に理解し、正確に日本語に対応させていくという、思考・発想で欠かせないプロセスを鍛えてくれる。よって、本質的な意味での記憶力が高まり、低下を防いでくれる。(2)集中力韓国語塾でいえば、ほとんどの学生はハングルになじみがない。私はハングルが制定された歴史の本を読み、ハングルの裏にある陰陽思想や朝鮮文化を学んでから韓国語に取り掛かったので、知らない語彙まで活用させることができるようになった。私は韓国のお医者さんに韓国語を習ったが、韓国語の思想に非常に興味を持った。だから、学生の韓国語理解力に接した時、明らかに、唯物的にしか学んでいないことを感じた。陰陽思想や漢字変換、動詞・形容詞の正しい活用が理解できていれば、明らかに遭遇しないであろう悩みを持っていたのだ。つまり、「自分は外国語が苦手だ」と感じるほかない学び方をしていたのである。語学なんて、赤ちゃんでも覚えるではないか。何が難しいことがあろうか。「第一語基」や「濃音」、「激音」などの用語はどうでもいい。見て、話して、慣れて、後から理解すればよいことだ。私の韓国語塾では、受けた人は分かるだろうが、あいさつや数字、日常会話は最初は一切やらない。それより、韓国語特有の構造が分かる難文をいきなりぶつけ、決してカタカナを使わず、1ヶ月は知恵熱が出るほど作文と翻訳を鍛える。そして、後半はK-POPを聴いて、学習箇所の自覚と相互連関について考えるようにし、学ぶほど楽しく、簡単に、やりたくなるように導く。最初は読み方だけでもよいが、毎週、翻訳や作文に反映させる知識が増えてくるので、短文を読む際でも、全てを記憶し、かつ、変化に対応できるだけの集中力を高めていかなければついていけない。しかし、みんな必ずついていける。なぜなら、できるまで家に帰さないからだ。「外国語が分かるとは、どういうことか」を肌で感じてもらうまでは、講座が終わっても帰さず、喫茶店に連れて行って教える。家に失望や不満を持ち帰ってもらうわけにはいかない。学生には、今まで間違った勉強に多大なカネをつぎ込んで、自己不信と挫折感だけを成果として買い込んだ人も多い。ちゃんと勉強すればモノにできる力を持っていながら、教師にその能力と確信、そして「絶対に見放さない」という情熱・責任感がなかったばかりに、ふやけた劣等感と曖昧な自信を持ったまま生きる若者は、一体どれだけいるのか。外国語は、そういう自分への自信のなさ、無能力感の克服に、またとない材料だ。(3)連想力韓国語塾でいえば、私が赤坂のスタバでモカフラペチーノを21杯飲み続け、二ヶ月で「手書き」で作成したテキストは、115の必須文法項目と、動詞・形容詞の活用が、順を追って応用力が高まるようにプログラムしている。学ぶほど記憶力と集中力が高まり、それぞれの基礎知識を組み合わせる、つまり「連想する」ことによって課題を解くように設計してある。外国語で、いつも使う基本語句は案外少ない。無闇に単語を増やすより、しっかりと理解し、自由自在に使いこなせる単語を確立させることの方が何倍も重要だし、お得だ。営業でも会計でも、この、「異質の要素を結びつけて、相互の間に何らかの関係を想像する」という連想力は、結果の成否を分ける。知性とは、物事の間に積極的な関係を見て取る能力だ。外国語は、これを鍛える上でも役立つツールである。(4)理解力既に述べてきたように、外国語は、曖昧にしか理解していない要素があると、翻訳や作文に支障を来たす。我々は日本語で生活しているから、母国語をどれだけ注意して読み、聞いているかについて、平素は自覚することさえ難しいが、たとえ母国語とはいえ、正確に読み、聞くのは難しいのだ。インプットがずれれば、アウトプットもその影響を受ける。読書力や聞く力の向上なくして、作文力やスピーチ力の向上はありえない。一字一句丁寧に読むという習慣は、外国語によって驚くほど鍛えられ、その力は母国語にもきちんと転化する。外国語能力の基礎は国語力だが、国語力を高める上でも、外国語能力は欠かせない。論理的一貫性、前後関係、適訳にふさわしい母国語の語彙…ちょっとした短文も会話でも、注意してみようと思えば、そこにはいくらでも習練の対象がある。慣れているからと粗末にしている読書や会話も、外国語を学んでみれば、案外難しいことが分かるだろう。書いてあることや、相手が言うことをしっかりと理解する。そんなありきたりのことも、外国語を学ぶことで、より良く達成することができるのではないだろうか。(5)速読力これは複数の外国語を身につけてから感じたことであったが、私は普通の人に比べて、圧倒的に読書のスピードと、内容の記憶力が高いことを、社会人になってから自覚した。しかも、速いのは読書だけではなく、作文のスピードも速い。仕事の生産性は、平均的なサラリーマンの何倍高いか分からない。私が就職しないのは、私の仕事が速すぎて、サラリーマンと一緒に仕事をやるのが疲れるからだ。こんなことを書くと嫌味ったらしいかもしれないし、自慢しているようで決して良い気はしないが、しかし、どう遅く読んでも、あまりに本が早く読めるし、しかも、何年たっても、誰かに質問されると、「それは○○という本の第○章に○○という形で書いてある」と答えることができる。ちなみに、FUNのレジュメも、作る時は原典の出所の確認以外、全部自分で考えながら書いている。ブログやメルマガは、一気呵成に書くことができる。この速読・速筆の力が、どれだけ人生の時間と資源を節約し、新たな資源の創造を可能にしているかは、ほとほと有り難い限りである。外国語を学ぶと、語句のまとまりや構文、文章、パラグラフ、論文を部分別に「絵」として眺めるような癖が付く。近現代史勉強会で、明治の漢文調の文章や、戦前の正字体の難解な論文を毎週読み続けてきた学生さんは、半年学んできた今、書店で新刊本を買うと、そのページが視覚的に空疎で、かなり速く読めてしまうことを実感しているはずだ。近現代史勉強会に来ると、本代を節約することができる。なぜなら、あれほどの難読論文を習慣的に読み続けると、多くの本は、書店の立ち読みで読破できてしまうからだ。私もよほどの必要がないと新刊は買わない。立ち読みで全部読めるからだ。そして、外国語学習は、さらに視覚的集中力と、瞬間的、かつ条件反射的に把握する力、そして、文章を語句ではなく構文で一気に捉える力を鍛えてくれる。古文や正字体の文章と外国語に慣れ親しんできた私は、この二つを学んで以来、本を開くと文章があっちから飛び込んでくるような印象を受けているが、これも外国語の効用だろう。ということで、今日は海外旅行や国際交流を除いて、外国語がもたらす知的効用について書いてきた。もし韓国語を学びたいという学生がいたら、語学学校は1時間2,000~3,000円取るだろうが、私は1時間300~400円で教えてあげるので、言ってほしい。ここに書いてきたことが本当だということを、3ヶ月で証明しよう。もっとも、その効用は、自分で学びをやめない限り、将来にわたって実感することになるだろう。外国語の学習なんて、楽勝だ。難しい、高い、日本人は外国語が苦手…なんて、業者の宣伝文句に過ぎない。私には、外国語よりも日本国憲法の方が難しいのだが、これはおかしいだろうか。あと2週間ほどで、「職業観形成講座」、「マネー塾2」、「ビジネスエリート養成講座」のレジュメが出来上がるので、ベローチェで一緒に韓国語を学びたい人がいたら、ぜひ一緒にやろう。さて今日も、夕方から、隈本さんと事業計画を話すかたわら、海釣りに行ってこよう…。