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乳癌は早期発見も早期治療もいらない

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2011年11月07日
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テーマ:乳ガ~~ン(1222)
カテゴリ:乳癌
横田哲治さんは、小石恭子さんが乳がんにかかった後、小石さんに、
ニュージーランド在住のままがんとの共生をすすめたという。
そして次のような提案をしたそうです。

天皇家の健康食の内容やレシピを紹介し、食事を通しての
乳がんの治療に専念されるようにしどうをした。
とくに毎日、ご飯、味噌汁をとることを勧めた。
小石さんは、私の指示に素直に従い、その通りに実行した。
日本とニュージーランドの1万キロを超える命をかけた
交信が続いた。幸いなことに、ニュージーランドの南島の
オタゴ市では、容易に日本食の食材が入手できたのである。
外国人があまり食べない海苔、梅干し、味噌、豆腐などが
店に売っていた。
小石さんから貴重な報告を受けた私は、もう少し詳しい情報が
欲しく、何度かメールで彼女とやりとりをした。

--大学卒業後、オーストラリアへ渡航されましたね。
日本を離れた後の食生活はどう変化したのでしょうか。
これまでのお話と一部重複するかもわかりませんが、
とても大切なことですので確認したいのです。

「日本を離れて、オーストラリアとニュージーランドで
人生の過半を過ごすようになり、ご飯とお味噌汁の日本食から
急激に食生活は変わりました。牛肉、バターやチーズなどの
乳製品主体の食事になったのです。やはり日本での生活に比べ、
肉も食べる量が多くなったのですね。
私は金沢市から電車で30分程の小さな町の出身で、
高校も大学も金沢に通ったのです。そして大学の後期には
実験の時間が多くなったので、大学の近くに下宿しました。
面倒ではないという理由で、この時期から時々朝食にパンを
食べるのを始めてしまいましたが、昼食と夕食は別に変えませんでした。
博士課程の学生としてオーストラリアに行ったときには、最初、
食事を作ってくれる下宿の建物に住んで、ヨーロッパ的な食事を
多くとっていましたが、後半は大学のアパートの建物に移って、
日本から持っていった炊飯器を使ってご飯を時々食べるようになりました。
日本からの留学生が結構多い大学でしたので、一緒に日本食も
作って魚も食べていました。インドやタイの料理屋に行って、
料理を習いましたが、毎日は行きませんでした。
ニュージーランドに来てからは、日本の食材がもっと簡単に買えて、
ご飯を初めから食べていましたが。、やはりお肉や乳製品を
食べるのが毎日のように続く食生活でした。」

【出典】
【送料無料】乳がんと前立腺がんの死亡者はなぜ増えるのか

現代の日本人も、

>お肉や乳製品を食べるのが毎日のように続く食生活

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最終更新日  2011年11月07日 19時46分26秒
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