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M17星雲の光と影

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2006.03.17
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カテゴリ:村上春樹
昨日の朝から左鼻奥の具合がおかしい。おそらくは副鼻腔をやられている感触である。これは鼻炎よりもつらい。副鼻腔というのは頭蓋骨にぽこぽこと開いている穴ぼこのことだが、目の奥のあたりに位置し、ここが炎症を起こすとうっとうしいことこの上ないのである。

というようなことをぶつぶついっていてもしかたがないので、頭痛に耐えながら、午前中にM整形外科へ。まあ、これは鼻とは別口の定期検診のようなものなのでらくちんなのだが、さすがにこういう日にはわずらわしい。

雑居ビルの二階でエレベータを下りると、目の前に患者があふれている。待合室に入りきれずに外へはみ出しているのである。首、肩、腰に不具合を抱えた中高年の方々がいかに多いかということがよくわかる。

小一時間待って診察室へ。

「先生、すごい人ですね」
「ふー、人が多くて多くて、わしゃかなわんよ。なんとかならんかのー」
「なんともならんでしょうね」
「そうか、なんともならんか。休みでもとってのんびりしたいんじゃが、そうもいかんしのー」
「連休はとれないんですか」
「暦通りじゃ。普通のサラリーマンは一週間とか10日とか連休取れるんじゃろ。うらやましいのー」
「そうかな。そんなに取れるのかな、いずれにしても私は普通のサラリーマンじゃないからわかりませんけど」
「そうじゃったなー、わしも○○さんも同じ裏街道を歩く身じゃもんなー、ひひひ。」
「ひひひ。その通りですね。先生。お互い人様の弱みをついて生きているわけですからあんまり大きな顔はできませんね」
「たしかに。でもあれじゃなー。わしが大学の法学部でも出て、役人になっとったら、今頃は天下りでろくに仕事もせんで、高給をはんどるんじゃろうなー。失敗したかもしれんなー、人生を。」
「何いってんですか。役人なんか勤まるわけないでしょう、先生に。三日でやめちゃいますよ、喧嘩して。」
「ほっ、ほっ、ほっ、よくわかるのー。おい、××(看護婦さん)、おまえ、笑いすぎじゃ。でも、あれじゃなー、予備校あたりだったらわしもなんとかなるんじゃないかのー。」
「そうですね、先生、予備校だったらぜんぜんおっけーですよ。私が保証します。」
「わがままなやつが多いんじゃろ。あそこは。」
「そうじゃないやつを探すのがむずかしいくらいですね、たしかに。先生だったら、トップ講師くらい軽くなれますよ」
「そっかー、そうじゃろなー」
「でもね、先生」
「なんじゃ」
「それでどうなるかというとですね、授業が終わって講師室に座ってる先生のところに、テキスト持った生徒がずらっと並んで質問にくるわけですよ。そして、『もう、人が多くて多くて、わしゃかなわんのー。なんとかならんのかのー』って言うはめになるんですよ。」
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。」
「市川団十郎みたいに無間地獄から抜け出すのはむずかしそうですね、われわれは。」
「ふぉっ、ふぉっ、たしかにのー。ところで○○さん、どっこも具合わるいとこはないんじゃろ」
「とくにないっすねー、だいじょうぶです」

ということで東大医学部卒、オックスフォード大留学経験あり、発表論文、和文200、英文50、みのもんた司会のTV番組出演歴ありの高名なる名医の診察終了というわけである。


ところで、つい先日行われた東京大学後期試験で村上春樹氏の文章が出題されたことをご存じだろうか。なにぶん狭い社会の話なので、興味のある方のために一言ご報告をしておきたい。

出題されたのは東京大学後期試験論文2(文1)の第1問。新聞社や各予備校のサイトで問題文を読むことは簡単にできます。出典は「アンダーグラウンド」の「はじめに」の一節。単行本だとp18~26あたりです。(途中、中略箇所が3つある)

設問は3問。
問1 村上氏は、下線部1(証言者をマスコミ媒体を通じて募る方法も考えられたが、その方法はとらなかったという記述部分)にもあるように、証言者を一般公募の形で募らなかった。なぜだろうか。考えたところを300字以内で述べなさい。
問2 「アンダーグラウンド」において、証言者の実名が用いられることにどのような意義があるか。あなたの考えを300字以内で述べなさい。
問3 下線部2(「私はできることなら、その固定された図式を外したいと思った。」)に関して「固定された図式を外」すとはどういうことか。またそれにはどういう意味があるのか。600字以内であなたの考えを述べなさい。

というものである。

まあ、正直申し上げて問題の出来はあまりかんばしくないというのが第一印象です。まず問1ですが、問題文では下線部1の直後が「中略」になっています。でも本ではそこに春樹氏の考えるそのことの利点が箇条書きにされているんです。つまり、答を隠しちゃってるわけですね。もちろんそれ以外の解答も幅広く認められるわけですが、こういうのはあまりフェアとはいえません。公正を重んじる春樹氏の文章を使って、なにもこんな問題作らなくてもいいんじゃないの。そういう気がします。率直にいって。

問2も出題の狙いがちょっと見えにくい。実名が用いられることの意義を考えさせる意図がぴんときませんが、読者の方はいかがでしょう。証言者を「なるべく実名で発表したい」と春樹氏が考えたのは事実であり、そこにはそれなりの理由があるとは思いますが、しかし、結果的には仮名であっても証言を掲載することの方を彼が選択している以上、実名の意義だけを問うことにどれだけの意味があるのか。すこしピントがずれているように私には思えます。

問3。この「固定された図式」とは、いうまでもなく「加害者=オウム関係者=顔のある悪党たち」と「被害者=一般市民=(顔のない)健全な市民」という図式のことです。まあ、この問題は内容的には妥当だと思います。東大らしいオーソドックスな問題ですね。とくに感心するというほどでもありませんが。

私が唯一興味を惹かれたのは、三つある中略箇所の三番目です。一つ目はさきほど述べたように解答にあたる箇所だからカットしたわけです。二つめの中略は取材にあたっての細かい記述部分なので、設問に直接関係しないということでカットしたということでしょう。これはわかります。

三つ目の省略箇所。それは「そこにいる生身の人間を『顔のない多くの被害者の一人(ワン・オブ・ゼム)』で終わらせたくなかったからだ。」という文章に後続する部分です。省略箇所はわずかに6行。とくに省略してもしなくても字数にはさほど影響しない。しかし、私はこの部分の省略には出題者の隠された意図があるのではないかと思います。みなさんもその意図を考えてみてください。省略された部分を再現しますね。

「職業的作家だからということもあるかもしれないが、私は『総合的な概念的な』情報というものにはそれほど興味が持てない。一人ひとりの人間の具体的なーー交換不可能(困難)--なあり方にしか興味が持てない。だから私はインタビュイーを前にして、その限られた二時間くらいのあいだに、意識を集中して『この人はどういう人なのか』ということを深く具体的に理解しようとつとめたし、それを読者にそのままのかたちで伝えようと、文章化につとめた。実際にはインタビュイーの事情で活字にできないことが多かったけれど。」

普通に考えると、これは問3のヒントになるからカットした。そう思えます。つまりこれも答えになる箇所を伏せちゃったわけですね。考えてみると、問2においても二番目の中略箇所には答えになりうる部分があります。(「証言を本の中に掲載する場合、証言者が実名を出して語った方が、メッセージの持つ現実的なインパクトははるかに強いものになることが多いからだ。」)要するに、3問ともすべて「伏せ字黒塗り」問題なんですね。だから、「出来はあんまり」といったわけです。

しかし、そういう問題の作り方の是非はともかく、「じゃあ、なぜその部分を解答として伏せなくてはならないような問題を作ったのか」という問いを立てることもできそうに思います。

私が興味をもったのは、問3に関する出題者の半ば無意識的なこころの動きです。おそらくは「私は『総合的な概念的な』情報というものにはそれほど興味が持てない。一人ひとりの人間の具体的なーー交換不可能(困難)--なあり方にしか興味が持てない。」という部分にひっかかり、この箇所を無意識的に回避したのではないかと私は思うんです。

おいおい、東大法学部で学問にいそしむぼくちゃんには聞き捨てならないせりふだな、その言い回しは。早稲田の一文の、それも演劇科卒のやつにそんなこといわれたくないよな、ったく。いくらおんなこどもに人気があるからってさ、これから法学部で学問に励もうとする若者たちにこんな情報を与えるのは教育上好ましくないな、マジックで消しちゃおう、ちょいちょい。

こんなこと考えてなければいいんですけどね。いや、あくまでも無意識の話ですよ、無意識の。でもそれなら村上春樹氏の文章を最初から使わなければいいんじゃないでしょうかね。それとも、「おんなこども」に、「ぼくちゃんはね、ちゃんと村上春樹なんかも読みこなしちゃうんだよ。法律の専門書だけじゃなくってさ。入試問題にも使っちゃったりするわけよ」っていいたかったんだろうか。でもさっきの省略箇所にはこういう記述もありますよ。「それを読者にそのままのかたちで伝えようと、文章化につとめた。」と。ここも気に入らなかったのかな。

もぐらたたきじゃないんだから、春樹くんの文章に穴ぼこ作って、それが答えになるような小論文の問題作んなくてもいいんじゃないだろうか。

おっと、なんだかずいぶん悪口をいってしまったような。そんな気はなかったのにな。でも、この問題に対する「ノルウェイの森」の永沢さんのコメントを聞いてみたい気がします。

出題者に向かって、

「おまえの頭の中の固定された図式をまず外したほうがいいんじゃないか。そちらのほうがよっぽど意味がある。」

冷たい声でそういいそうな気が私はするんですけど。





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Last updated  2006.03.17 19:38:52
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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