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M17星雲の光と影

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2008.01.28
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ずいぶんひさしぶりのブログ更新である。文章を書かない時はこころが乾いている時である。生きるために必要なうるおいを欠いている時、人のこころは文章には向かわない。

ということで、「枯れ木に水をあげましょう」運動の一環として文章を書いてみることにする。

本年、初頭の一冊は既述の通り、サリンジャーの「キャッチャー・イン・ザ・ライ」であった。私はとても面白く読んだ。でも、どこか読めていない部分があるような気がして、もう一度頭から読み直した。さらにそれと並行して、村上春樹・柴田元幸「翻訳夜話2 サリンジャー戦記」(文春新書)も読んだ。

この本がまた面白かった。まるまる一冊「キャッチャー」をめぐる二人の対話と、本来ならば白水社版「キャッチャー」の巻末に付されるはずだった村上氏の解説が掲載されている。

そこで展開されている対話はけっして「文学論」というのではない。作者の方法論について論じたり、作品の文学史的位置づけについて意見を交わしたりということは、(少しはあるけれども)主要なテーマではない。

それよりもむしろ「あの場面のあいつのあのせりふにはこういう意味があるんじゃないか」とか、「あそこでなぜあんなことしちゃうんだろうね」とか、言ってみれば「池袋文芸座終映後、男二人連れしょぼい喫茶店にて大放談大会」スタイルで対話が展開されるのである。

そこにはいろいろと面白い指摘もあるのだが、まあそれはそれ、興味のある方は直接同書に当たっていただくとして、少なくとも原書の味わいをいっそう深めてくれる稀有な解説書あるいは鑑賞本であることはたしかだ。「キャッチャー」を読み終わって、「なんか読み足りないなあ」と思った方には格好の「二度目のおいしさ」を堪能させてくれる本である。

というような日々を過ごすうちに、どうにもサリンジャーが頭から出て行かなくなってしまった。次に読もうと思っていたあれやこれやの本を尻目に、ついふらふらと彼の「ナイン・ストーリーズ」(新潮文庫)を買ってしまった。訳者はあの野崎孝氏である。

「翻訳夜話2」のなかでも、村上氏は自分の著作へのサリンジャーの直接的な影響については述べていなかったと思うのだが、「ナイン・ストーリーズ」の各編のタイトルを見ると、ある種の影響というか、類縁関係が認められるように思う。

たとえば、「バナナフィッシュにうってつけの日」、「コネティカットのひょこひょこおじさん」、「対エスキモー戦争の前夜」、「笑い男」。どうだろうか。もちろん作品世界そのものが似ているかと言われたら、ちょっと首をひねるしかないし、そこに描き出された心情表現にもはっきりとした違いはあるのだが、世界をとらえるレンズの屈折率がどこか似ている印象を受ける。これが「キャッチャー」の翻訳に見られる村上氏の自在な語り口にも反映されているように感じられるのである。

本書に収められた9つの作品は、その出来に微妙なムラはあるものの、その組み立て方や語り口は実に見事なものである。

私がもっとも気に入ったのは「笑い男」。わずか25ページ足らずの小品であるが、傑作である。ほぼ完璧な仕上がりだと思う。「エズミに捧ぐーー愛と汚辱のうちに」もすばらしい余韻を漂わせる名作である。この二作を読むだけでも十分本書を贖う価値はある。

でもうまく書かれた短篇小説ほど、その良さを説明するのがむずかしいものはない。「興味のある方は読んでみてください」といって、あっさり白旗をあげるのがあるいは正解なのかもしれないが、まあ一言二言拙い感想を述べることにする。

彼の作品にはしばしば「子ども」が登場する。それもくっきりとした輪郭とあざやかなイメージをもった存在として、その「小さな人々」は読む者のこころに忘れがたい印象を残す。その子どもたちは一面ではとてもリアルだ。細かな仕草や微妙な心情描写を通して、彼らは作品の中で生き生きと躍動する。

しかし、そのような姿を描き出すこと自体は、おそらくサリンジャーの目的ではない。それはあくまでも「何か」を映し出すための手段なのである。それは被写体というよりもスクリーンであり、照明である。では、それによって映し出される「何か」とはいったい何か。これが必ずしも明確ではないのだ。そして、その「何か」は「子ども」のもつイノセンスや聖性とも深い結びつきをもっている。要するに、彼の作品における「子ども」は手段なのか、目的なのか、判然としないところがあるのである。

だから、彼の語り口の明晰さに比べて、そのテーマは必ずしも明瞭ではない。読む側からすると、彼の作品はあざやかな印象を残す夢のようなものである。ありありと夢の中の情景は頭に焼きついているのだが、それが何を意味するのかは必ずしも明らかではない。鮮明な記憶は「意味」という落ち着きどころを得られないまま、こころのなかで不安定に揺れ動くことになる。解釈の困難な夢の映像を読者の脳裏に鮮明に刻み込む力を彼の作品はもっているのである。

「ナイン・ストーリーズ」の描き出す世界は、そういう形をとっている。

たとえば「笑い男」を見てみよう。

ここに出てくる「子ども」は珍しく「私」である。他の作品のほとんどでは、「子ども」と「私」は別人物だ。そういう設定では、作者の子どもに対するある種の「偏愛」がどうしても前面に出てしまうので、読む者には若干の違和感を与えることになってしまう。しかし、「私=子ども」という設定ではそういう危険は回避される。この作品を私が好む理由のひとつはそこにある。

「私」は9歳。「コマンチ団」という25名から成る団体の一員である。22,3歳の大学生の団長の運転するバスに乗って放課後、セントラルパークでスポーツや美術鑑賞を行う日々を送っている。その団長がバスの中で語る長編活劇の主人公が「笑い男」なのである。

この「笑い男」の話は雑多で奇怪でスリルに満ちており、少年達の好奇心を満たしてくれる。男の子25人と団長からなる小さな世界の、それは共同幻想としてたしかに機能している。そこに団長のガールフレンドが登場し、現実世界と虚構の物語がパラレルに進行していく。

その書きっぷりのあざやかなこと。サリンジャーの語りは、いつも最小のことばで最大の表現効果を上げている。再読すると、印象的なシーンがいかに少ないことばで語られているかに気づいて驚かされることになるが、この作品はその典型である。

これ以上の説明をこの作品に加えることはできない。もちろん「ネタバレ注意」ということもあるが、それ以前に能力の問題として私にはこれ以上の論評を加える力がない。

読み終えて頭に浮かんだことばは「幻想と破壊」である。このふたつのものの関係について私は考える。子どもの抱く幻想にはあらかじめ自爆装置がセットされている。破壊されない幻想は、そもそも幻想とは呼べない。必然的に破壊される運命にあるもの、それを幻想と呼ぶとすれば、幻想が存在する意味はどこにあるのか。

幻想は単独で存在しているのではない。幻想は現実と深く結びつくことによって、はじめて存在可能になる。幻想のもたらす喜びは、その幻想が無残に引き裂かれる時の痛切な痛みの感覚と一体のものなのである。そこにおける喜びと痛みは、いわばコインの両面なのだ。

幻想と現実は相反するように見えて、実はひとつのものの表と裏なのである。

たとえば笑い顔を模した仮面。あの仮面の表情が深い哀しみをたたえているように見えるのはなぜだろうか。

この作品は、その疑問に対するひとつの答えであると私には思えるのである。






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Last updated  2008.01.28 20:47:46
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和久希世@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) >「彼はこう言いました。「それもそうだ…
kuro@ Re:「チャンドラーのある」人生(08/18) 新しいお話をお待ちしております。
あああ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 非常に面白かったです。 背筋がぞわぞわし…
クロキ@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光2(03/03) 良いお話しをありがとうございます。 泣き…
М17星雲の光と影@ Re[1]:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) まずしい感想をありがとうございました。 …
映画見直してみると@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 伊集院がトイレでは拳銃を腰にさして準備…
いい話ですね@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) 最近たまたま伊丹作品の「マルタイの女」…
山下陽光@ Re:大江健三郎v.s.伊集院光1(03/03) ブログを読んで、 ワクワクがたまらなくな…
ににに@ Re:非ジャーナリスト宣言 朝日新聞(02/01) 文句を言うだけの人っているもんですね ま…
tanabotaturisan@ Re:WILL YOU STILL LOVE ME TOMORROW(07/01) キャロルキングの訳詩ありがとうございま…

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