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柊リンゴ

柊リンゴ

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2008/11/17
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「おや。乱暴な足音がすると思えば夏蓮かい。ようやくお目見えか」
 
 涼しげな風体で婆様が座敷から現れた。
顔はおろか赤襟の見える項も白い粉を塗った姿に狂い咲きの花と感じた。
 そのせいか目元に寄る皺までも年期の入った娼婦のよう。
齢六十を越える老体なのに遊廓を営むとは気の張りが違うのだろう。
老いてますます盛ん、背筋も曲がらない凛とした姿に気骨すら感じる。

「婆様、僕はまだ十八です。床は勘弁してください」
「数えの年では十九になろう? 大人だよ。それよりもまったく、何時間待たせるのだい。さぞや体を磨いてきたのだろうね?」
「応えになりませんよ、婆様」
 今の時代で数えの年を確認する人なんていないだろう。

「そうだ、夏蓮。今宵の出来次第で明日は呉服屋がおまえさんの寸法を測りに来るからね。ああ、あと髪結いか」
「意味がわかりません」
 婆様が目を細めて僕を眺めている。

「天網様はおまえさんを相当お気に入りのようだ。まだ顔も見ていないのにねえ。しかしそのさんばらの髪もおまえの顔立ちなら似合うが、この牛若楼の伝統を守った着物姿となれば……鬘でも調達するかね?」

「後ろ髪を残したミディアムウルフの髪型は僕の趣味です。構わないでください」

「その髪型に合う櫛を婆は知らないよ。花でも飾るかい?」
「花……ですか」
 

 片付け忘れたのか縁側に萎れた百合が捨てられていた。
それが自慰をしていた姫の萎れた自身と記憶の中で重なる。


「顔色が悪いね」
「薄気味悪いところにきたせいです」
「夏蓮が自分で来たのだろうに」
 婆様がそういいながら着物の袖で鼻を覆った。
小菊をあしらった色留袖は派手で、年にそぐわない。

「性の違いか、この楼に漂う臭いに婆は鼻が曲がりそうだよ。一日中消えやしないし。今頃綺麗なおまえさんを見て手淫する奴もいるのだろうが、体を汚されないだけありがたいと思いなさいな」
 
 僕の住む世界は汚れている。しかもそれを受け入れろといわれているのだ。


「そうだ夏蓮。アザミを拒んだそうだね。おまえさんに手ほどきをしていない事がこの婆の不安材料だよ」
「お気遣い無く」
「抗うが、天網様が床を取るのはわかっているだろう。夏蓮、泣くのはおまえさんだよ」
 
 その気丈な言い方に苛立ちを覚える。どうして床を取る事を前提としているのだろう。

「さあさ、桔梗、その我侭姫様を下ろしなさいな。大体、おまえさんは下ろせといわないと離さないのかね」
「はあ、そうですねえ。言われていませんので」
 桔梗が僕をするりと下ろした。先のアザミの扱いより大人しいので驚いた。

「頭が固いというか張子の虎か。まあ、夏蓮には丁度良いお目付け役だね」
 婆様が腰をぽんと叩いて声を張った。
「いいかい、桔梗。夏蓮を一番奥の座敷に連れていきな。くれぐれも逃げ出さぬよう一晩中縁側で見張るのだよ」
「はあ。では夏蓮さん、参りましょう」
 帯を持つ僕の手を取り、強引に歩き始めた

「き、桔梗! 婆様もどうして? いつもは馴染みしか上げないくせに」

「……子供だねえ、夏蓮。家の事情を察しなさいな。それにおまえさんに会いたいと何度も通ってくださったのだよ、ありがたくお礼を言ってその帯を解けば宜しい」
 孫に体を売れと薦めている。それが身内の言う台詞か。

「楼の事情はわかります。だけど僕は!」

 びしりと僕の口元に扇子が指された。
それは婆様がいつも懐に忍ばせ、幼い頃の僕を威圧する為に使われてきたので、今でも指されると条件反射で口を噤んでしまう。

「否が応でも引き受けて貰うよ。早くお行きなさい」
 
 命令され俯くと視線の先に婆様のつま先があった。
年を隠せない角質層で荒れた肌に、はっとする。

 僕を育てる為に無理をしてきたのだ、その婆様に僕は従わざるを得なかった。


10話に続く。
 
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Last updated  2008/11/17 06:03:18 PM
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