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医療、薬、経済社会、考えています。
おがりんの日記 [全195件]
一時期(または未だに)、途上国などの所得の低い国でのWindowsの海賊版や違法コピーが問題になりました。海賊版/違法コピーはもちろん映画、ゲームなどでも問題ではありますが、Windowsが問題になる背景には少し違ったものがあると考えます。 それはWindowsという1US企業が製造・販売しているPC用のOSが、社会的なインフラに近いものであるところにあると思っています。Linuxなど無償のOSやBrowserもあるので消費者にとって回避策もありますが、Windows以外はどれも普及率が低く、消費者側の利用スキル(PCスキル、何かあった時の回りからのサポートがないので自分自身で解消しなければならない、など)もWindowsよりは必要なので、同等の代替物はないと言えます。かつ、ゲームや映画であればそれがなくても我慢するだけで済みますが、Windowsを通したテクノロジーの経済的利益を得られる/得られない、という違いは生活水準に影響する点(「デジタルデバイド」を引 き起こす)で、社会的なインフラと言えると考えます。 インフラに近いものであり、多くの人が共通に使いたいのに公共財ではないため、その費用を出せる人にしか使えない、というコンフリクトがあります。そして対価費用を出せない/出したくない人は海賊版や違法コピーに手を出します。 マイクロソフト社は海賊版対策、普及率を高めるため、などの理由からWindows Vistaの中国での販売価格変更を実施しました。日本、USと比べてこの価格設定はダンピング(不当廉売)ではないか、と個人的には思いましたが中国国内でWindowsに対抗する製品がない、作ろうとしないのなら、消費にも有益な方法であるのかもしれません。事実、中国国内からこの価格設定変更に対する批判は大きなものになっていないようです(まだ高い、という声は強いらしいですが)。 道路や教育サービスなどのように「純」公共財ではないのに、公共財としての要素が強い財・サービスでは低所得の国において企業利益と社会的責任、ダンピングなどが常に問題になると思います。その最たるものが医薬品ではないでしょうか。 WindowsなどのS/W、映画などのDVDであれば違法コピーによる海賊版が出回る可能性があり、逆にその海賊版が社会的弱者の受皿になっているとも言えます。一方で、医薬品については同質の海賊版が存在しないか、または存在してもそれが消費者には判断できないところが、更に厳しい環境を作り出していると思います。 ジェネリックと呼ばれる特許切れをした安価な薬も、先進国では安くても、それでも途上国にとっては高価です。またジェネリックを製造するメーカーは逆に薄利多売で経営体力が少ないため、途上国支援などは新薬メーカーの方が出来ているくらいです。 新薬メーカーが今競って創薬しようとしている分野は癌やアルツハイマー、糖尿病などの高齢化社会が抱える疾患領域であり、途上国などの低寿命国では優先度としては低い疾患領域です。また世界の製薬会社の現在最も収益が高い製品群も高血圧や高脂血症などの生活習慣病。食べるものに困っている国ではさぞや頭にくる疾患です。一方、途上国で求められている感染症などの薬剤は逆に日本などでは使い過ぎによる薬剤耐性が問題になるのに。 Medical Devide 製薬という企業はそのような環境にあります。
随分長く未更新でした。 数年来の目標であったスペイン語学習をこの夏から初めました。 大学で習ったことないですが、UK留学中に三ヶ月ほど週1回の昼休みクラスで簡単な挨拶程度のスペイン語を習ったことがあります。まあ、ほぼ初心者です。 何の目標もなく勉強すると途中で挫折すると思うので、とりあえず秋のスペイン語検定試験を受けてみようと考えています。 もっか、朝8:00からの「ラジオ スペイン語」と「テレビでスペイン語」を聞く・見るを日課にし、空いた時間で文法などの初歩のテキストを勉強しています。
日経のニュースです。 http://health.nikkei.co.jp/news/top/index.cfm?i=2008033002651h1 既に業界内では有名なニュースになっていましたが、一般ニュースでも流されました。 健康な生活を促進する製薬会社が禁煙薬を販売するにおいては当然と言えば当然だとも思います。 私個人は煙草をすわないので厳しい言い方になるかもしれませんが、タイミング的にも微妙です。禁煙薬を販売しなければそのまま喫煙行動は社員に認めていたのでしょうか? 煙草をターゲットにした薬を販売する/しないに関わらず、どの製薬会社も人々の健康的な生活を目指しているはずです。新薬を創薬するのは手段であって、どの製薬会社にとってもそれはゴールではないはずです。 いずれにせよ、禁煙宣言とその行動は奨励されるべきことです。是非、100%の実施をし、有言実行をしてもらいたいです。
製薬企業では2007年度はリストラの年でした。 グローバルメガファーマのほとんどが社員数を減らす施策をとりました。 おそらくこの傾向は2008年以降も続くと思われますし、昨年はなかったメガファーマ合併に伴う社員数削減も発生するかもしれません。 確かに肥大した製薬会社大手には適切な人員数をオーバーした人材配置がされているようにみえます。私個人としても、製薬会社の社員数は、特に日本の市場においては、多いと思います。他社業界や製薬会社と接している方たちからすると働いていない社員が目につくかもしれません。 一方、働いていない社員を辞めてもらえば会社組織は効率的になるか?と言うと実はそうではないと思っています。 号数は忘れましたが結構前のHarvard Business Reviewで、働きアリの作業行動について研究した生物学者の話題が経営のアナロジーとして使われていたのを覚えています。働きアリの中にも実は効率的に働いていないアリが20%ほどいる、かつ、その20%の働かないアリばかりを集めて集団を作ると、以前は働いていなかったアリ達の80%は働くようになった、という内容でした。これは人間の企業組織においても推測できることではないか、という内容であったと記憶しています。(記憶が不確かな部分はすいません) この働きアリの観察事実はその数値20%が妥当かどうかは別に、人間社会の企業という組織行動においてもよく見る事実であると思っています。特に成績が数値としてかなり明確に出る営業社員であるMRにとっては、そうではないでしょうか。成績優秀者がいる反面、成績がよくなかった人も必ず出ます。それがたまたま1回の結果でなく、上司やその地域との相性、周りとの軋轢など悪い環境が続いた結果連続でそのような事態となると、周囲は当然その者を「できないヤツ」と評価します。そしてそのような評価を一度受けるとそこから抜け出すのは難しく、自助努力も失せ、「できないヤツ」が板に付いていくでしょう。 その「できないヤツ」化のダウンループは色々なパターンがあるでしょうし、当然本人の問題もありますが、重要なポイントとして私が持っている仮説は、組織というのはそのような「できないヤツ」をある一定割合で作ってしまう、ということです。また、「できないヤツ」でも働く環境を変えたらある一定割合は「できる」ようになる、という逆もです。 そのため、会社を効率化しようとした際に「できないヤツ」に辞めて貰うのは短期的には正しい経営判断の場合もありますが、「できないヤツ」がいなくなったはずの組織も数年後には必ず「できないヤツ」が発生する。そして、更にこの「できないヤツ」の解雇を繰り返していけば、その組織は組織としての体をなくしてしまうでしょう。解雇の度に人も減りますが、数年毎に下からXX%を切る企業は例え直ぐにそのXX%に入らない社員でも残りたいとは思いません。 製薬会社が今後リストラを進めていく際に、「できない」社員を切り、「できる」社員を残せば会社として盛り返すだろう、という発想ではなく、より社会、仕事内容、環境をベースにした人材戦略を取ることを願っています。
とうとうNY原油は1バレル100ドルを超えました。 100ドルを大幅に超えると予想する人は少ないかもしれませんが、原油価格が50ドル以下である過去数年のレベルに戻ると予想する人も少ないです。既に諸々の業界や価格に影響が出ていますが、製薬業界も少なくない影響があるはずです。 一方、CO2の削減レベルを設定した京都議定書はいよいよその効力が履行されますが、日本でのCO2削減は上手くいっていないようで、本社機能が集中する東京都もその目標の達成が危ぶまれています。そんな中、昨年から東京都に本社機能を置く事業所はCO2削減対策をいよいよ各企業レベルで対応しなければいけなくなりそうだと各社対応検討を開始しています。 http://www.nikkeibp.co.jp/style/eco/report/070907_tokyo/ 私が所属する製薬企業もその対応策の検討が経営課題に昨年あがりました(まだ真剣に考えている、というレベルではないかもしれませんが)。横並び意識の強い製薬企業。1社が対策を立て、それが有効であるのなら各社右に習えをするでしょう。 製薬企業におけるCO2の排出は大きく言うと、工場、建て屋、営業車両の3つがあがると思います。しかし、工場はGMPなどのバリデーション対策の一環としてかなりの程度効率化されているのが実情ですし、建て屋もその排出量はたかがしれています。エアコンや夜間照明などの節電ではドラスティックな効果はでないでしょう。 そこで、Focusされるのは営業社員の営業車両です。 営業車両は別の面でも昨年は課題になっているはずです。 ガソリン価格は2006年に比べて2007年は1割以上上昇したはずです。これによって、2000名以上のMRを抱える製薬企業は年間の営業車両のガソリン代が1億円以上増加した会社もあるでしょう。 CO2削減対策、営業経費削減の観点から比較的自由な利用であった営業車両は今後大きな制約を数年内に受けると考えます。 おそらく対策は大きく分けて2つになると考えます。 1.営業車両の一部廃止 2.営業車両の非利用日の設定 1.は東京および大都市のHP担当者は既に車両を持っていない製薬企業もあるはずですが、これが今後は全業界的に推進されることになるはずです。また、ある程度の地方であっても営業車両のShared Serviceなどが考えられるかもしれません。 個人的見解から言っても、東京都心のHP担当者は営業車両を持っているだけで非効率な面があります。都心の異常に高い自宅駐車場代、病院近辺に駐車する際の駐車場代。資材を持っていかない日は電車、資材を持っていく日はタクシーというのが現実です。都心を営業する営業マンで車移動をする業界自体珍しいと思われます。 2.は営業車両非利用日の内勤日の設定がまず検討対象になります。既に数社の製薬企業では医療関係者、患者からの問い合わせ電話対応のオペレーターが自宅で勤務するシステムを構築しています。現在の発達したインターネット技術であれば、内勤作業や社内会議は車移動を伴う拠点で行うのでなく、各自宅及び自宅間で実施することで可能です。社内会議は直接顔を合わせてこそ話が出来るという風潮がまだありますが、本当に生産的な社内会議をしているかどうか?それは直接会わなければいけないか?その会議を直接会ってやらなければ本当に売上が落ちるのか?を突き詰めて考えれば、どうどうと実際に会わなければいけない、と断言できる人は少ないです。 2008年度、このままガソリン高、東京都のCO2規制対策の本格化が始まれば製薬企業の営業スタイルは各社多かれ少なかれ影響を受けることになると考えます。 また、この対策に関連したプロジェクトビジネスも増えてくることでしょう。
今年最後のコンサートとしてN響の第9を聴きに行く。 年の瀬に第9を聴く習慣があるのは日本だけだそう。 だが、この時期を逃すとあまり聴けないのも日本の実情だと思います。 自分は第9を生で聴くのは初めてですが、色々考えながらも行ってしまいました。 演奏は 指揮|アンドリュー・リットン ソプラノ|角田 祐子 メゾ・ソプラノ|石津 なをみ テノール|カン・ヨゼプ バリトン|キム・テヒョン 合唱|国立音楽大学 正直言うと、合唱はともかく演奏はがっかりでした。 トランペットがいけていない。 音の外し、伸ばすところで安定して伸ばせない、などのN響らしからぬ演奏だったと思います。あと、第4楽章のテナー独唱のあたりでかん高い雑音が聞こえ、興ざめしてしまった。何の音だったのかは不明ですが、残念です。 演奏はともかくも、やはり合唱の迫力はどんなオーディオシステムのCD再生よりも生が良い。合唱が始まった際、ホールの空気の流れが変わりました。本当に声の力か、吐き出す息の力か、はたまたエアコンの力かはわかりませんが、空気の流れが荒々しく変わったことを感じました。 フルトヴェングラーのCDを聴いた時の感動は味わえませんでしたが、ちょっとした演奏の落ち度など覆す素晴らしさをベートーヴェンの第9は持っているとわかりました。 今年1年は音楽鑑賞という趣味にとって自分はかなり恵まれていました。来年は今年よりも生を聞ける回数は少なくなると思いますが、可能な限りまた訪れたいです。
今日はふとした誘いから青葉台までコンサートに行ってきた。 初めてのハンドベルアンサンブルのコンサートである。 アンサンブルの名前は「きりく・ハンドベルアンサンブル」。 ついこの間までアメリカツアーを行っていたらしい。自分は知らなかったがCDも出しており、TVなどにも出ている日本で最も有名なハンドベルアンサンブルと聞く。 今日の演目は シルバー・ベルズ リビングストン アヴェ・マリア シューベルト プレイアデス舞曲集 吉松隆 主よ人の望むの喜びよ バッハ アヴェ・マリア カッチーニ トルコ行進曲 モーツァルト ずいずいずっころばし 朧月夜 岡野貞一 プリンクプランク ルロイ・アンダーソン アメイジング・グレイス クリスマス・メドレー オーホーリーナイト アダン 6-7人でそれぞれ1-3個のベルを振り、それによって多重的な音の音色を作るので共演者同士の息の合わせがものをいう。 自分が一番気に入ったのは「主よ人の望むの喜びよ」。途中で何回か旋律を変えていた。それをその変えを全員で合わせる難しさと、元々の曲がハンドベルに向いている気がする。一番しっくりした。 拍手の多さではやはりトルコ行進曲が会場からは一番評価されたのだろう。曲のテンポが早いので、他の楽器のように早く多重な音を出し難いというハンドベルのかなり限界を攻めている気がする。実際、奏者の動きは他の曲よりも激しい。聴き終わった後には思わず拍手の手も激しくなってしまう。 最後はアンコールの聖しこの夜。 時期もあるかもしれないが、ハンドベルはこのようにゆったりと旋律が美しい曲に向いている気がする。会場を出るときには自然とクリスマス気分も盛り上がっていた。 毎年、12月にコンサートを開いているそうだ。 来年も機会があれば聴いてみたい。 |一覧| |
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