大河の一滴
先日日記で発表したとおり、ここ楽天ブログでは残すところ四日になりました。23日の日記参照残すところのタイトルも内容も全部決めていたのに年度末、こうもぐちゃぐちゃに世の中が動いてしまうと書きたいことも変わってしまい、それは残り三日に詰め込みます(^^;)とにかく毎日誰かが自分の予期しないところで命の火を消されていってしまう。チベット虐殺からそれが勢いづいてきて日本に飛び火し、土浦での大量殺傷事件、岡山での電車突き落とし殺人事件、昨日深夜にも東京文京区での大量殺人が速報で入ってきました。刑事犯罪事件は統計では減ってきているもののその質は明らかに変化している。今あげた三つの事件のうち前二つは「誰でもよかった」、文京区はその逆で一番身近であるはずの家族が犠牲者です。決して暴力団の抗争でもなければ他人(家族以外)への恨み辛みでもない。何でこんなことになったんだろう。今こうやって入院しているとそこにはいろんな家族の姿があり、すべての人たちがいろいろな苦しみを抱えながらも、その中には「愛」を感じることができて、見ていてうらやましいなぁ…と思っています。でもすべてがすべてそうかといえば、こうやって無差別殺人がいきなり三件も立て続けに起きる日本。おそらくこの入院中最後に読むことになるであろう五木寛之氏の「大河の一滴」。タイトルはご存じの方も多いと思いますが、この本の中では現代日本、戦争が起きているわけでもない時代なのにこのような事件が起きたり、自殺者が三万人前後の状況(そういえば卒業式直後に「答辞を間違えた」だけで自殺した小学生もいました。)に対して「心の戦争」の時代になった、と書かれていました。三十代の死者の死因一位が自殺である、なんて悲しい時代になったんでしょう。五木氏も自殺を具体的に考えた時代があって、それでも生きながらえてしまった、だからこそ生き恥をさらしているようでもあり、だからこそ今言わなければならないことがある、とこの本を書かれたようですが、(書かれたのは平成十一年です)彼曰く、別に時代が我々を悩ませているわけではなく、悩みに対して我々が弱くなりすぎた。人間力が弱くなりすぎた、そう記しています。ホームレス殺人にしろ、例えば大人たちが地域浄化のために戦後復興に汗水を流してくれた人々をホームレス、というだけでそこから追い払う、そんな大人たちを見てまともな子供が育つのか。入院中のおいらが言うのはおこがましいのですが、体の調子がちょっと悪いくらいで病院に逃げ込む、救急車を呼ぶのはいかがなものか。人間早いか遅いかの差はあっても必ず死を迎える。その人生の99%は地獄なのである。でもだからこそ残りの1%で人と出会い、愛し、連帯感を持ち、喜びを共有する、そういうことに人生の真実があるのではないか。彼はそう述べ続けています。入院最後にこの本を読めたことは自分にとってもとてもありがたいことだと思いました。それまでおいらはこの世は完全なもので、完全にできないのは自分の力不足のせい、と教えられ、それを信じて努力してきたつもりでした。しかしこの本ではこの世は完全ではないどころが地獄である。だからこそ生きることがかけがえのないことだということを伝えてくれました。同じ努力するにしても心の持ちようがきれいさっぱり変わってしまいました。残りだいたい生きて40年くらいだと思っています。その40年をどう過ごしていくのか。金と欲で動くのか、生きるということに向かい合って生きるのか。それを最後に学べただけでこの二ヶ月間はとても有意義なものになれたと思っています。そして多くの人が、大事なことがなんなのかに気づいて生きていってほしいと思っています。おにぎり36RS