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2007年10月03日
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和

これから展開する話は、天皇は中央アジアからやって来たとする私のファンタジーである。



 今回は、コノハナサクヤヒメの周辺をさぐってみたい。


 古代日本の歴史に関する本を読んでいたら、こんな一節に出会った。
万葉仮名で、波奈佐久(はなさく)というのがありました。越前の丹生郡から出しているのですが何だろうということになった。……(中略)……福井県埋文センターの青木豊昭さんが実に明快に論拠もあげて証明されたのですが (鯖江郷土史懇談会「会誌」第一号)、蕪菜 (赤蕪) のことで、いまでも現地 (美山町上味見区河内) でずっと作っているものだそうです。
門脇禎二・森浩一『古代史を解くキーワード』学生社.1995年 p.238


 《河内の赤カブ》からリンクしてある《天与の特恵品 河内の赤かぶらの味覚》を見ると、
この河内赤かぶらは、水と緑とそして澄んだ谷あいの空気で満たされた美山の山ふところ河内集落の特産であります。
この集落は、約1200年前に栄えた牛ヶ原荘園の古文書にその名を記されている由緒深い山里であります。

河内の赤かぶらの伝承としましては、平家の落人が聖徳太子自作の尊像(現在福井県重要文化財)を背にしてこの村に住みつき、平家の象徴であるこの赤き色のかぶらを後世に残したいと、純粋種の赤かぶらの種と、その栽培技術を村人に伝えたと言われております。しかも、この純粋種の赤かぶらは、河内地籍にだけしか育たない不思議な種でありました。丸くふっくらとした豊かな形、真っ赤で明るい色調、ざっくりと切れば中はみずみずしい朱がかかっております。風味は又独特の味で甘く、辛く、ほろにがく、調理による変化の妙も又格別でありまして、山菜の王者の風格をそなえております。
と記されており、なにやら古代の雰囲気が感じられる。上記の2サイトには写真も掲載されているので御覧あれ。と言っても見たところフツーの赤蕪だが。

 ま、ここからが私のイマジネーションの広がるところで、ハナサクが赤蕪ならば、コノハナサクヤヒメは「こいつ赤蕪だなあ」娘の意味ではなかろうか、と思ってしまう。この赤蕪は雑木林を切り開いて栽培されるというから、大山津見神の娘というポジションと象徴的に重なるように思える。古事記では木花之佐久夜毘売、日本書紀では木花開耶姫と表記する。しかし、播磨風土記の穴禾郡しさわのこおり雲箇里の条では「大神之妻 許乃波奈佐久夜比賣 其形美麗」となっており、漢字表記まで同じである。ただし、岩波頭注p322はニニギ妃の木花開耶姫とは別だろう、としている。

 大山津見神の娘にはコノハナチルヒメもいるから、私の想像は違っているのかもしれないが、それでも元々あったハナサクという語音が赤蕪から一旦「花咲く」の意味に解釈された後で、それと対照的に「花散る」という発音の名前が案出されたという可能性もある。ハナサクという語音から「花咲く」という解釈は容易に出てくるが、「花咲く」という意味から赤蕪という指示対象はほとんど出てきそうもないからである。

 どう考えてもハナサクから蕪は出てきそうもないのだが、古代の音を想定するとうまくいくかもしれない。

 古代日本人はハ行を「パ・ピ・プ・ペ・ポ」か「ホァ・フィ・フゥ・フェ・フォ」と発音していたようだし、花の中国音「ホァ」を日本人は「カ」と発音するようになったのである。ということは、ハナサクのハナはもともと“hoan”または“hoam”と発音されていたのではあるまいか。そうすると、前者からは hoan → hoana → hana の音韻変化がありうるし、後者からは hoam → kam → kamu → kabu の音韻変化がありうる。

 一方、サクに関しては、猿田毘古が溺れたときの話に、「阿和佐久御魂(あわさくみたま)」という言葉が出てくる。これは、漁夫が潜水するときに生ずる泡粒が水面で割れることの神格化である。すると、サクはポコッと広がるイメージと重なるのかもしれない。蕪もポコッと広がった泡の形に似ていなくもない。ま、我ながらこじつけ過ぎだとは思っているが、花と蕪の共通語源というものを想定してみるのも面白いのではないかと思う。


 ちなみに、日本の国花であるサクラの名は、木花之開耶姫(このはなのさくやひめ)の“さくや”がなまったという説もある。桜子ちゃんとカブ子ちゃんでは、だいぶイメージが違う。(^^; 私としては、コノハナサクヤヒメは線の細い色白の女性かとイメージしていたのだが、古代人からみると“赤蕪娘”は美味しそうに見えるのかもしれない。(^^ゞ


 ところで、コノハナサクヤヒメは『古事記』では神阿多都比売(カムアタツヒメ)、『日本書紀』では鹿葦津姫(カシツヒメ)が本名とされ、コノハナサクヤヒメは異名とされる。「アタ」や「カシ」が中央アジアによくみられる地名であることから、この神話は中央アジア起源ではないかと私は想定している。すると、誰かが中央アジアからこの神話を持ってきたわけだが、私としては継体天皇の数代前の祖先が若狭湾あたりに蕪とともに上陸したのではないかと想像している。このハナサクが福井に残っているというのは、その名残ではあるまいか。

 だったら蕪は中央アジアにあったのか、という話になるが、《かぶ(蕪)-食材事典-》などをみると、原産地はアフガニスタン近辺(東洋系カブ)と南西ヨーロッパ(西洋系カブ)に分かれるそうだ。紀元前の相当古い時代から栽培されていたらしい。そして私のファンタジーでは、ニニギノミコトが天孫降臨のおりにコノハナサクヤヒメと出会ったのは、アム川上流域すなわちアフガニスタン北部あたりあたりではないかと想定しているのである。

 コノハナサクヤヒメが関係する所は、上に言及した播磨国穴禾郡である。この地方では、米が濡れて黴が生えて酒を醸したという一節がある(『新編 日本古典文学全集 風土記』小学館.p.85)。ここは瀬戸内側だからちょっと場所的にズレているが、山を越えればすぐ日本海側なのだから、大陸からの発酵製法が早くから入ってきてもおかしくない。穴禾郡しさわのこおりは宍粟郡とも表記されるようだが、おそらくシサワはシシアワの縮まった形だろう。ちなみに中国では粟や小麦から酒が作られていた(→《アワから作られていた古代中国のビール(アサヒビール|ビールの歴史)》)。ひょっとすると6世紀あたりで日本の植生に応じて、粟の酒から米の酒への転換があったのだろう。

 コノハナサクヤヒメは酒と縁が深いようである。《コノハナサクヤヒメ(ウィキペディア)》によると、
ホオリらが産まれた時にオオヤマツミが酒を造ったとの説話があることから、オオヤマツミは酒解神、コノハナノサクヤビメは酒解子神と呼ばれて、酒造の神ともされている。




 酒を飲むと顔が赤くなるから赤蕪・・・。いやあ、話にオチがついたところで今回はこれでおしまい。m(_ _)m




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最終更新日  2007年11月30日 18時24分23秒
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