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2007年10月04日
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テーマ:ニュース(99737)
カテゴリ:歴史と教育
和

 自分のファンタジーと日本の考古学を結びつける必要があるために、こういうニュースは気になります。(^^ゞ

纒向遺跡から大量のベニバナ花粉、卑弥呼の織物と関係?

(2007年10月3日3時16分 読売新聞)


 邪馬台国の有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、弥生時代後期~古墳時代初め(3世紀中ごろ)の溝跡から採取した土に、ベニバナの花粉が大量に含まれているのが分かったと、市教委が2日、発表した。

 これまで最古だった藤ノ木古墳(同県斑鳩町、6世紀後半)の例を300年以上さかのぼる発見。

 ベニバナはシルクロードを通じ、中国から伝わったとされる。このため、市教委は「当時、加工技術を携えて来た渡来人が、この地域で染め物や化粧品などの生産をしていた」とみている。

 中国の歴史書「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」には、倭国の女王・卑弥呼が魏に赤と青の織物を献上したとの記述があり、邪馬台国との関係性をうかがわせる貴重な資料として注目される。

 分析された土は、東西2キロ、南北1・5キロの同遺跡の中心部にある溝から1991年に採取したもの。金原正明・奈良教育大准教授(環境考古学)が分析したところ、1立方センチ・メートル当たり270~560個の花粉が確認された。通常では考えられないほどの量で、遺跡の周辺にあったベニバナ染織の工房から流された廃液が溝に残っていたと判断された。


 もう一つの新聞記事。

国内最古 大量ベニバナ花粉 卑弥呼の染織工房か 魏志倭人伝に『献上』記述

(東京新聞 2007年10月3日 朝刊)


 女王卑弥呼(ひみこ)で知られる邪馬台国の有力候補地、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、三世紀前半の溝跡にたまった土から大量のベニバナ花粉が見つかり、市教育委員会が二日、発表した。織物の染料とみられ、国内で確認された最古の例。

 「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」によると、二四三年、卑弥呼が魏に赤や青の織物を献じたと伝えている。当時の大陸との交流を考える貴重な資料になりそうだ。

 エジプトや西アジアが原産のベニバナは、中国などから日本に伝わったとされ、これまで六世紀後半の藤ノ木古墳(奈良県斑鳩町)の石棺から花粉が見つかっていたのが最古だった。

 市教委は「中国との直接的な行き来の中で、最新技術だった染織が持ち込まれたのだろう。指導役の工人が来て栽培までしていたかもしれない」としている。

 市教委が依頼した奈良教育大の金原正明准教授(環境考古学)が分析。溝跡(長さ六メートル以上、幅一・五メートル、深さ一メートル)の土に、一立方センチ当たり二百七十-五百六十個の「自然では驚異的な数」(同准教授)のベニバナ花粉が検出された。金原准教授によると、当時、国内の他の地域ではベニバナの花粉は見つかっていないという。

 ベニバナの染織は、水溶性の黄色の色素を水で洗い流し、残った赤い色素で染めるが、花粉はこの廃液に含まれていたと推定した。溝の約百五十メートル上流は神殿建物跡などが出土した纒向遺跡の中枢で市教委は組織的な工房があったとみている。

 纒向遺跡は箸墓古墳などの前方後円墳が点在する巨大集落跡で、初期大和王権につながるとされる。



 これは纏向遺跡が邪馬台国のものである証拠になるのか? 魏志倭人伝に記された経路から言えば、九州説のほうが正しいようにも思える。また、纏向のベニバナ染織の技術が九州の邪馬台国にもすぐに伝播したとか、渡来人が九州にも大和にも来て技術を伝えたとか、いろいろと可能性は考えられる。

 三世紀の日本は、女王の時代といっても過言ではない。まず、魏志倭人伝には卑弥呼が登場する。239年に卑弥呼は魏に遣使し、没するのが248年、その後は一時混乱するが、壹与が女王となっている。また、これとほぼ重なるかのように、『日本書紀』でも神功皇后が歴史の表舞台に登場する。201年に摂政となり、269年に没している。

 『日本書紀』は、神功皇后の摂政40年あたりの記事で魏志倭人伝を引用し、神功皇后を卑弥呼に擬している。だが、神功皇后と卑弥呼とを簡単には同一視きない。神功皇后が実在の人物で、中国側には卑弥呼として登場しているという可能性はある。この意味では邪馬台国の大和説が正しいようにも思える。ところが、神功皇后の部分は創作がかなり入っているのではないかという見解もあり、卑弥呼という存在を歴史から抹殺するために、神功皇后なる虚像を作り上げていったのではないかとも考えられる。さて、このようにして日本の正史に吸収されてしまった卑弥呼は、九州にいたのか大和にいたのか。どちらともとれそうである。

 それにしてもベニバナはエジプトや西アジアが原産というから、私のファンタジー(天皇の中央アジア起源説)を大いに刺激してくれる。(笑) 最近の私は、武烈天皇までは中央アジアに存在したというファンタジーに傾いているので、ここに登場する3世紀の渡来人は、おそらく中央アジア原始ヤマトの先遣隊なのである。

 市教委は「中国との直接的な行き来の中で、最新技術だった染織が持ち込まれたのだろう。」としているが、239年に卑弥呼によって初めて中国との関係が成立したのではあるまいか? その当時にはすでに染織をしていたというのは、ちょっと成立しがたい見解ではあるまいか? まあ、非公式には中国と接触していたということはあるのだろうが、もしそうだとしたら、日本から招聘したというよりも中国から勝手にやってきたと考えたほうが真実に近いだろう。

 「纏向は渡来人の都市国家」なんてことになったら面白いなあと勝手な想像をするσ(^^)。で、どこからその渡来人がやって来たかっていうと、当然、天山山脈北麓のヤマトゥでしょう。近くにはナラットという場所もあるし。(笑)

 文字のない時代の考古学は、そこに住んだ人々の名前まではわからない。だから、纏向が邪馬台国なのかどうか、考古学的発見は最後の最後まで状況証拠でしかないだろう。そこにいろいろな想像が入り込む余地があるわけで、それが古代のロマンだ。(^^ゞ







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最終更新日  2007年10月04日 20時53分13秒
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