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ほん(本)のidle talk(無駄話)

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2009.09.08
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カテゴリ:投資脳
 明石海峡大橋の神戸側アンカレイジの脇にある孫文記念館(移情閣)の建築主の呉錦堂が表舞台に登場するのは、明治38年(1905年)から明治40年(1907年)にかけて発生した「呉錦堂・鈴久事件」であろうか。「呉錦堂・鈴久事件」は、カネボウ(鐘紡:現クラシエホールディングス)が創立以来初めて経験した株の買占め事件であった。

 三井財閥の工業化を推進した「三井中興の祖」である中上川彦次郎が明治34年(1901年)10月に没すると、消極緊縮策を好む三井家の顧問の井上馨侯と中上川彦次郎の間の感情の疎隔があったことから、実際に中上川彦次郎が実行していた三井の事業は廃棄されたり、売却された。

 明治38年、三井は鐘紡株の売却を始めた。武藤山治支配人は他人の手に株を渡すよりは、呉錦堂に買われる方が将来の仕事の邪魔にならない、と考え、買取の話を呉錦堂に持ちかけたところ、呉錦堂は応諾する。

 株の買取代金は三井銀行神戸支店で鐘紡株を担保に融通してもらうことで決着がつく。結局1回だけではなく3回呉錦堂は三井から株を買うことになり、三井家所有の鐘紡株は呉錦堂に手に渡ることになる。5万株近くの株を保有することになった。

 呉錦堂は鐘紡株に限り自分の思うままになると過信して、思惑売買を繰り返しているうちに、鈴木久五郎の標的にされる。

 呉錦堂が鐘紡株を売ったところで当てがはずれて株価が上がる。そこで株価を抑えようと売り込む。しかし更に株価は上昇する。とうとう持株全部を売りつないだ時、突如相場が暴騰して追敷金(追証のこと)を請求され、手も足も出なくなった。三菱銀行からの特別金融で呉錦堂は助かったが、鐘紡株は呉錦堂から鈴木久五郎の手に移る。

 『鐘紡百年史』では、「呉錦堂は鐘紡株に限り自分の思うままになると過信して、思惑売買を繰り返している」と書いてあるが本当にそうだろうか。

 呉錦堂の売りつなぎは、単純な思惑売買だけではないだろう。というのは呉錦堂は綿絲棉花の商売をしているから、鐘紡製品の原料の相場には非常に詳しい。原料相場の推移を見て、原料安か製品安かの動向を見ながらのヘッジ機能も兼ねながらの売買だろう。であるなら単純な売買ではなく、株を活用したヘッジ戦略と見るべきだが、相場を支配できるとの過信から来る、安易に無造作に空売りをすると買い方に狙われて踏みあげにあって痛い目を食らうという好例ではある。

 空売りしても持株全部を売りつないだわけだから、通常であれば買戻しする必要はなく現渡をすれば株の売却代金は手に入るが、現渡するわけにはいかない状況だったから踏みあげを食らわざるをえなかったことになる。売り方にとって流動性がなくなった時の大暴騰は青天井かと見まがう恐怖、否地獄となる。

<<参考文献>>『鐘紡百年史』「第9章 呉錦堂・鈴久事件」

孫文を顕彰する日本で唯一の博物館の孫文記念館(移情閣)、をご覧ください


武藤山治






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Last updated  2009.09.08 16:50:09
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