草花をいじるのが好きだ。
いじられる。これは植物にとっては、あまり好ましくない事態だろうと思う。
いじられたくない、そんなふうには。もっと、わたしたちを知ろうとした上で、必要な分だけの世話を願いたい、というのが相手のねがいのような気がする。そこまで思っていても、つい、必要から逸(そ)れた、余計な世話を焼いてしまう。草花をいじることで、慰めを得ている証拠のようだ。
いまの顔ぶれは、こんなふう。
日日草(花は白)。ナスタチウム(金蓮花/黄)。ベゴニア(白)。ミニバラ(紅)。このほか、緑の観葉植物が六鉢。
庭につるバラ(サマースノー/白)、ベランダにまだ若いオリーブの苗木がいる。
庭仕事は夫の担当、鉢植えはわたしの担当ということになっていて、六月のはじめ、庭のつるバラ満開になったときには、
「ご丹精のバラ、見事ですねえ」
と、夫に挨拶。
さて、鉢植えの話。
二階の西側の窓辺に、いちばん元気で、花をたくさんつけている鉢花を置く。そこは道に張りだしているので、目印のつもり。
鉢植えは、家のなかに置き放しにすると、具合がわるい。そこで、じゅんぐりに、保養所へ。入所―といっても、家のなかから外に出るのだが―の決まった皆さんは、陽あたりのいいベランダの一角で休養してもらう。ここで、ゆっくり寝て、回復してきたら、肥料を少し施す。
「わたしもさ、弱ると、眠りこけるよ。何にもしないで、眠るの。お互い、いつも同じ調子ではいられないんだねえ」
保養所の皆さん。
昔話だが、二十歳の年に出版社に入り、そこで最初に園芸ページの担当になった。
あのころは、土のことも、葉っぱのことも、根や花のことも思わず、ただ仕事の頭で植物の前に立っていた。先輩の、「自分で、少し野菜や草花を育てると、実感のある記事が書けるわよ」というアドバイスも、「はあ、」なんて言って聞き流して。
もったいなかったなあ。いまなら、もうちょっと面白いページがつくれただろう。植物とのつきあいのなかで、知りたいことが山ほどあるもの。
そんなころの、ある日。
東京都心のマンションに、ゼラニウムの取材で出かける。
西側のベランダからゼラニウムの白い花が、こちらを見下ろしていた。家のなかにお邪魔して眺めると、白い花は窓枠を額縁にした大きな絵のように、見えた。すがすがしい部屋の、花の絵のようーなんて、素敵。
「東側には、紅いのがあるんですのよ。ほら」
この家の老婦人が指さすほうを見ると、こちらには、紅いゼラニウムの連なりが窓を飾っている。
いつかわたしも、ゼラニウムの鉢植えを窓辺に、とつぶやいたわたしに、ゼラニウムは言った。
「わたしたちは飾りだけどね、ほんとうは生きてるの。自分ではどこにも行かないけど、だから、せめて、わたしたちが映えるようにしてね。乱雑な部屋で暮らすのはいや」
ゼラニウム(天竺葵=テンジクアオイ)は丈夫で、育てやすいが、ほんとうはプライドの高い花なのかもしれない。あのとき、そう思った。
それから幾度も、園芸店で、ゼラニウムと出合ったけれど、手がでない。この花の映える暮らし……と考えはじめると、どうも心もとなくて。
(でも、きっと近いうちに、ゼラニウムと暮らそう)。
オリーブの苗を買いました。
近く、もうひと株もとめるつもり。
2本以上あると、実がよくつくのですって。