片づけは好きだけど、掃除が苦手だ。
わたしの考える片づけとは、このふたつのことに尽きている。
モノを、なるべく持たない。
使ったらすぐしまう。
そうして、わたしの考える掃除は……。これをはっきり書きだせないことが、すでに苦手を証明している。
なんとか掃除らしいことをしながら暮らしてはきた。しかし、掃除機をかけ、ふき掃除をした翌日には「きのう掃除したもんね、きょうはしたくない」ときっぱり思ってしまっている。
そうかと思えば、埃というものはどこからやってくるのだろう、と考え込んだりする。そんなことを考えている暇に、掃除して埃を拭ってしまったほうがいいのにちがいない……。
けれども不思議なことに、40歳を越えたころから、掃除というもののもつ力、奥の深さ、のようなものにだんだん惹かれるようになっている。浄める、祓う、という所作に、意味をみつけたものらしい。
このように意味深いふるまいを、自分ひとりでしようとしてはいけない。家の者たちにも割りふろう、と思いつく。こういうことは、もっと早くに思いついてもよかったのだが、苦手意識が邪魔をして、ひとりウヂウヂしていた。
割り振りは、なかなかうまくいかなかった。「掃除機かけてよ」と言う言い方によっては、けんかみたいになったりする。口で言うのはうまくないなあ、と思った。同時に、この家の掃除全体を、自分が把握していないのに、それを家の者たちに割りふろうというのは無理だということにも、気づく。
そこで、掃除を割り振れそうな場所を書きだしてみた。
それぞれの階は小さいが、3階建ての家なので、洗面所、トイレが2つずつあったり、掃除機をかける・ふき掃除をするという場合の距離が、2つの階段含めて縦に長かったりする。
2階洗面所。2階トイレ。1階洗面所。1階トイレ。風呂。玄関まわり。いちごトイレ(これは、猫のトイレ)。掃除機。ふき掃除。植物の手入れ。消耗品買いもの。
これらに「備考」の欄を加えて縦の項目とし、横の項目に1週間の日にちを書いた一覧表にしてみた。マス目には、それをするひとが自分で名前を書きこんで、実行したら赤えんぴつで印をつけることにしてみる。
表にして置いた途端、家の者たちは、自分の名前を書きこんだりして、掃除をはじめた。「わたし、きょう、洗面所をする」「あ、いちごのトイレ掃除しなくちゃ」「帰りに、洗剤買ってこようか」
「ごめんね、ちっともできなくって。週末やるね」と言いながら、土日の欄に「ていねい掃除」と書きこんでいる者もいる。
もしかしたら。
掃除が苦手なのはわたしひとりだったのかもしれない。時間をみつけて掃除はしたいが、どんなふうに担当したものかわからない、というのが夫や子どもたちの思いでもあったようだ。一覧表をつくって置く、というささやかなシステムをつくっただけで、当番制度がまわりはじめた。半年たったいまでは、まんなかの娘が、一覧表の管理もしてくれるようになった。
あ、「備考」の欄に「ガラスふきもしないと」と書いてある。これが書けたら、居間のガラスをふくとしよう。
これが、当番表です。
1週間で1枚——これを、みんながそれぞれ、
しげしげ眺める様子は、
ちょっと可笑しい。