家の仕事にしても、書いたり・読んだりという仕事にしても、根をつめて「過ぎる」と、はっとする。
いま、「過ぎてる」んじゃないか、と。
そうして、あわてて遊ぶのだ。
誰かが家にいるときには、「おーい」と呼んで、つきあってもらう。
トランプ。花札。
ひとりきりのときには、パズルの雑誌をひっぱり出して、ボールペンをなめなめ(なめそうな勢いで)クロスワードパズルや、漢字パズルに挑戦する。そんなことが、いったい気分転換になるの? 遊ぶときくらい文字からはなれたらどうなの、と、ときどき言ってくれるひとがある。なるほどね。
運転を仕事とするひとが、休みの日にドライブをたのしむという話を聞いたりすると、それに近いものがあるかもしれないなあ、と思ったりする。
いま。
夏休みのただなかなので、誰かが家にいて、相手になってくれる。
「お母さんって、けっこう遊ぶねえ」
「……」
ブームは、花札。
差し(さしむかいの、意)で、数取りをする。札を配り(手7、場6)、なるべく数の大きい札を手もとに集める。
勝負がついたところで点数をかぞえる。勝ったほうの数から負けたほうの数を引いた数。これをカレンダーのすみっこに書く、勝者の名とともに。どういうのだか、わたしは負けることが多い。
子どもたちは、ゲーム機時代のひとたちだが、誘って一度おしえると、すぐに飲みこみ、勝負づよい。そのうち、チェスをおぼえ、やってみたい。
さて。
遊びもまた、「過ぎる」といけない。
長くても30分ほどにとどめ、またもとの仕事にもどる。
階段の踊り場に、花札が置いてあります。
「花札やるひと〜」と叫ぶと同時に、
ここにとりに走るんです。
末娘と半年(6回)勝負。
8月7日現在、末娘はわたしに482も勝っています。