酢水のスプレーを使って、戸棚の把手まわりを拭く。
拭きながら、ひとというのは、汚れやごみをつくりながら生きているものなんだと、思わされる。
手あか。埃。そうして、ごみ。
手あかを酢の力を借りて、さっぱりとおとし、戸棚のとびらをあける。
おおっ。
ここは、シールの国なのだった。しばらく、雑巾の手をとめて、眺める。
上の子どもが、保育園の友だちからもらったというシールを、冷蔵庫の扉に貼ろうとするのを見て、「待って〜」と叫んだ遠い日が、よみがえる。子どもにとって、シールというのは、とってもとても「いいもの」なんだ。その「いいもの」を、どこか、いつでも合える場所に、ぺたん、と貼りたくなる気持ち、よくわかる。わかるけれども、ちょっと待って〜だった。
「あのね、この戸棚のとびらの内側に、貼っていいよ。いっぱい、いっぱい貼っていいからね」
これが、わたしの、咄嗟の提案だった。
3人の子どもが、それぞれ、シールを貼りまくったとびら(の内側)が3ヶ所。どれも、いまとなっては、なつかしい3つの「シールの国」。
友だちがくれた思い出のシール。ねだられて買った、ちょっと珍しいやつ。野菜にくっついていた農協のシールなんかも、あって、おかしい。なかには、わたしが便乗して貼りつけた、宝塚のスターのシールもある。
なつかしいなあ。
おそらく、家具や電化製品にどしどし貼られたのだったら……、なつかしい気持ちにはなれなかっただろう。角をはやしながらシールをこそげ取ったりして、揚句の果てに「シール禁止!」なんて、叫んでいたのにちがいない。
家のなかにも、そんなきわどい——つまり、イライラの種になるか、のちにいい思い出になるかというような、わかれ道が出現する。
「シールの国」は、わたしにしては、なかなかいい判断だったなあ。
シールの国!
戸棚を、久しぶりに拭く。
汚れていた。手あかって何だろうか。
戸棚には、ランチョンマット、デキャンター(瓶がころがらないように、フタ無しの
箱に入れてある)、チラシで折った箱、おやつ(カワキモノ)、小物(黒文字や、ナ
プキンペーパー、割りばしほか)を収納した小ひきだしが入っています。
下段左の箱のなかには、お茶漬けのリ、即席のスープ・味噌汁などがあります——ちょ
っとわくわくする箱。