この夏は、お客さんが多かった。
とくに、女のお客さん。
なんだかんだと食べるもの、飲むものを持ちよって、おおいに飲み、食べて、うんとこさ話をする。
「友だちの家に遊びに行くより、友だちが遊びに来てくれるほうが、ずっと多いな」
と、末の子が言う。
「へえ。わたしも、そうだよ。来てくれるのを迎えるほうがずっと多い」
そう言うと、末の子があはは、と笑う。
「お母さんが、誰かが家に来るの、好きだから、友だちが来てくれるんだよ。うちの友だちも、お母さんの友だちも」
「好きなのかな、わたし」
「きらいじゃないでしょう」
そうか、と思う。
だけどね、これでも、おひとが来てくれるということになると、やっぱり、ちょっとは身構えるのよ。と、言いたくなる。
身構えて……、まず何をするかというと、掃除(大掃除なんかはしない、ちょっと、するだけ)。そのつぎは……。食べてもらうもの(=つくるもの)を決める。
あれー? これだけで、もう「これで、みんなを待つばかり」という気持ちになっているみたい。
掃除、も、ちょっと。
食べてもらう、も、ふだんうちで食べているものを、いつもより多めにこしらえるだけ。
おひとを迎えるときの心がけは、きどらないこと。きどっても、すぐ底が割れる。
話は脱線したが、この夏のお客さんたちに、評判がよかったのが、食卓の脇にある鍋ラック。ほんとうなら、台所に納めたいところだが、納まらなかった。
この、言ってみれば、はぐれ者たちが、なぜか目を引く。
「これ、いいねえ。どこで買ったの? もうちょっと背の低いのも、あった?」
とか。
「道具が陳列してあるっていうの、いいわよ」
とかね。
わたしは、実直でうつくしい道具が好きだ。
なるべく、そういうものを選びたい、と思っている。現に、収納せずに見せちゃおう、という置き方(密かに、「飾り置き」と呼んでいる)をしている道具もある。
そうは言っても、飾るにはふさわしくないモノも少なくはない。そういうモノたちは、「隠し置き」にする。
「隠し置き」と「飾り置き」を使いわけると、収納は、案外うまくいく。
「飾り置き」。
これが、うわさの鍋ラックです。
ラック下に、いちご(うちの黒猫)に午後4時に出してやる、缶詰めのごはんの容器
があります。ちょっと時間が過ぎると、この容器を、指さすような仕草。
そんなときは、「いま、あげようと、思ってたのよ」と言いわけしながら、よそいま
す。水も、いちごの飲み水。
「隠し置き」。
義母が、嫁入り道具として持ってきたという火鉢。
このなかには、ごちゃごちゃとモノ(イヤホン。ちょっとのあいだ、とっておきたい
チラシ。へんな色のメトロノーム。へんな色のえんぴつ削り器)が隠してあります。