「いいじゃない、そんな小さいことにこだわらなくってさ」
と、思うことがある。
ひとがひとを許せない、という話のとき、そんなふうに感じることがある。
「めくじらを立てる」ということばもあって、それは、他人の欠点をさがしだす、という意味だけれど、同じことなら、欠点よりイイトコをさがしたほうが気持ちがいいだろう、と思う。
しかし。
これが家のなかのこととなると、話がちょっと変わる。
家のなかに、ちょっと気になるところ——欠点といえば、欠点かな——というのが、ある。誰にでも、あるのじゃないだろうか。
畳を板の間にかえたい、とか、キッチンをとり換えたい、とか、そういう話じゃない。うちの「あれ」、ちょっと使いにくい、とか。「あそこ」がこうなってたらいいのにというくらいのこと。
ひととひとの関係には、あんまり「めくじら」立てないほうがいいと考えるわたしだけど、家のなかのこととなると、細部が大事だなあと思わされる。
日日そこに暮らし、そこで働くわけなので、小さい部分の不具合が身にこたえる。
先日、こんなことがあった。
冷蔵庫の扉の内ポケットから、煎りゴマの入った瓶をとり出そうとして、おとなりの七味唐辛子の筒をひっかけ、床に落としてしまった。落としたのは、このときが初めてだったが、これまでも、煎りゴマ氏を呼びだすたび、七味唐辛子、一味唐辛子、山椒諸氏をなぎ倒し迷惑をかけてきた。
煎りゴマ氏は出番も多いので、呼びだすたび、なんとかならないものかなあ、と思っていた。
その日はめずらしく、頭が澄んでいたようだ。
ふと、煎りゴマ氏をもうひとまわり大きい瓶に入れておけば、煎りゴマ氏が働きに出たあと、七味、一味、山椒さんたちに迷惑をかけることもないわけだ、と心づく。空き瓶をためておく棚をさがすと、調度よさそうなのが、あった、あった。
瓶をもうひとつ瓶に収め、「いままで、すみませんでしたね。これからは、煎りゴマ氏不在のときにも、すっきり立っていていただけますから」と七味、一味、山椒各氏に、挨拶。
うふふ、なかなか、いい具合。
こんなことが、どうしてこうもうれしいんだろう、と思う。
持ち上げているのが、煎りゴマ。
となりの「七」:七味唐辛子、
「一」:一味唐辛子、「山」:山椒です。