台所で、毎日活躍している鍋は、7個。
・ 文化鍋→ ご飯を炊く。
・ ル・クルーゼの鍋(18センチ)→ 味噌汁、清汁をつくる。
・ 行平鍋(15、18、21、24センチ)→ あらゆる茹でもの、煮炊きに。
・ フライパン(銅製)→ 焼きもの、炒めものに。
このなかで、いちばんの古参といったら、行平鍋4人衆だ。
もう、24年のつきあいになる。初めて自分の台所をもったときから、ほんとうにずいぶん、世話になった。
台所の恩人といってもいいほどなのに、わたしはときどき、ひどい扱いをする。柄を、焦がすのだ。それが1度や2度でない証拠に、これまで、何度か、柄が焼けて、とれてしまった。
ときどき、安いすりこぎを買ってきてそれを柄として、木螺子(もくねじ)をねじ込んで、とり付ける。
そんなことをくり返すたび、どうして焦がしちゃうんだろうなあ、わたしは……と、さびしく反省。
が、あるとき、柄無しでもいいんじゃないか——木製の柄がなければ、オーブンに入れて調理できるし、と言いわけめいたことをつぶやき、つぶやき——と、思うに到り、ここ7年ほど、柄無しで働いてもらった。
ただし……。
いちばん大きい24センチのは、なかみが入るとさすがに重くて、柄の力を借りないと使いにくいという理由で、柄をつけて使った。
「自分が、たのしむ」
「いやになってしまわないように、なまける、休む」
「ときどき変化させる」
これが、わたしの台所仕事3箇条。
なんだか、わたしというひとのわがままが露呈するようで、気が引けるが、そういうことで、やってきた。
で、鍋の柄を、7年ぶりにくっつけようというのなんかは、「ときどき変化させる」に、該当する。そのくらいのことで、変化なんかするの?と、お疑いのあなた、これが、もう、うれしくなっちゃうほどの変化なのだ。
まず、100円ショップに出かけていき(これだけで、かなりうれしくなっちゃう)、鍋の柄になるすりこぎを2本もとめる。
この2本から、3本の柄をつくるのに、のこぎりと愛用の「肥後守」をとりだす(工作だ、工作だ、というので、また、うれしくなる)。柄が長すぎると、あぶないし、使いにくいので、ほどよい長さにぎこぎこやる。
うふふ、たのし。
1本のすりこぎで、21センチの鍋の柄が1本つくれ、もう1本のすりこぎから、18センチと15センチの鍋の柄がとれるのだ。
鍋の柄をさしこむ部分の大きさに合わせて、「肥後守」ですりこぎを削る。ここまでくると、もう気持ちはすっかり職人だ。
最後に、柄をさし込み、錐(きり)で穴をあけて、木螺子で固定する。
こうして、手をかけてとりつけた鍋の柄は、台所に大きな変化をもたらす、というわけ。
おおっ、新しい風。
変化の香り。
柄のない行平鍋4人衆。
愛用の、「肥後守」(ひごのかみ)です。
これ、1本持っていたらいいと
思うんです。
柄を削っています。
ちょっと職人をきどっています。
この作業には、肥後守と軍手は不可欠。
鍋に柄が、つきました。
うれしいっ。