「持って帰ってね、これ」
と云いながら、友人が卓の下に目を落とした。
白い花が見えた。紙袋に、白い花束が入っている。
「わたしに?」
昨夜、スペインのバル(※1)を模した店で、たのしいひとときを過ごしたときのこと。
深夜、紙袋をさげて家に帰り、なかを見ると、花束だと思ったのは鉢植えだった。
花には名札がついていて、「フランネルフラワー フェアリーホワイト」とある。
——どうして花を……?
と考える。友人は、……彼女は、いつも、おいしいもの、めずらしい食べものをプレゼントしてくれる。花をくれたのは、はじめてだ。
「いらっしゃい」
これは、花への挨拶。
草丈は30cmほどで、葉も花も細かい毛で覆われている。
「はじめまして」
これも、挨拶のつづき。
今朝、居間に入ったわたしを白い花が、30cmのからだをそっとゆらして迎えてくれた。風もないのにゆれるはずはないのだけれど、そう見えた。微笑んでいるように。
名前? 忘れた。なんとかフラワー。ええと、フランネルフラワーだ。
「おはよう」
大袈裟かもしれないけれど、花がやってきてからかすかな重荷を感じていた。相手は植物で、しかも鉢植えときている。昨夜、布団にくるまりながらも、ずっと花のことを考えていたような気がする。重荷と云っても、気の塞ぐような負担ではなく、この花とうまくやっていいきたいが、という前向きなものだった。なにせ、命ある相手との出合いだもの。
花に、重荷にとまどうわたしの気持ちを見せたくなかった。それで、昨夜うちにやってきたときの状態のまま(紙袋から出して、包みは解いた)、居間に置き去りにしてしまった。
けれども。朝になって「おはよう」を云うときには、不安は消えていた。フランネルフラワーの育て方を調べて、安定したふさわしい環境を与えることができそうだという自信も生まれていた。
「おはよう。まず鉢を換えるね」
とフラに告げてから(名もフラと決めた)、素焼きの9号鉢(※2)と培養土と赤玉土を運びこむ。居間のテラスで植え替えをする。プラスティックの鉢から素焼きの鉢に換えただけで存在感が増す。
植え替えの作業をしている最中(さなか)、不思議な感覚が湧いてきた。不思議だが、はっきりとした感覚。「起こることにはすべて、わけがある」という……。
この花がうちにやってきてくれたことにも、わけがある、という気がした。
わたしのなかに生じたそんな感覚を、フラはおそらくわかっているだろう。生きもののなかで、見えないだけでたしかにそこにあるものをわからないのは、ひとだけだもの。
か細い存在のフラでも、昨夜薄暗い店のなかで出合ったときからこちらをじっと観察して、わたしがかすかに感じていた重荷も、この家の様子も、わかっていたと思う。そしていまの気持ちも。
「よくやってきてくれたね」
※ 1 バル
軽食屋、喫茶店、はたまたバーでもある……バル。スペインのバルは、彼の地の食文化を物語っていると思えます。
※ 2植木鉢の号数
植木鉢の直径3cmが1号です。というわけで、9号鉢は直径27cm(3×9cm)の植木鉢。
フランネルフラワー
(セリ科/オーストラリア原産)
葉、茎、花が細かい毛で覆われています。
この手触りがネル(フランネル)に似ていることから
フランネルフラワーという名になったのではないでしょうか。
花は、春先から秋まで咲くようですが、
湿気と霜には要注意とのこと。
まずは夏をうまく越したいものです。
花びらのように見えるのはガクで、
なかの「まんまる」が花ですって。
「起こることにはすべて、わけがある」
ということを思いださせてくれたありがたい花。
大事にしたいと思います。