筑紫哲也さんの追悼番組をみて:政治の話=喧嘩ではないのですね。
昨日、筑紫哲也さんの追悼番組を見ました。その追悼番組を見て、一日たってもなんだか、まだ彼が生きているようなそんな感覚があります。決して会ったことがあるわけでもないのにね。私が夜更かしを許されるようになったころから、夜中の音は、あのニュース23の音でした。たらったらったら~♪彼は、夜になると毎日テレビに映る。もしかしたら、親の顔よりもみていたかもしれません。筑紫哲也さんは初めて「ニュースっておもしろいかも」と思わせてくれた人物です。彼は言っていることがわかりやすかった。そして、逃げがなかった。どちらの主義の方たちの発言を聞いても、いいわけ、攻撃、ねじふせ、嫌み、噂、感情、偏見、悪口雑言だらけで、事実は何なの?何を根拠にそう言えいるの?じゃぁ、どうすればいいと思っているの?あなたはそれをどう考えているの?ともう、はてなだらけで子どもの喧嘩状態の 政治番組そりゃつまらんですよ。だけど、彼の発言は、「今、何がおきているのか」そしてそのことに対して「彼がどういう考えをもっているか」ということを伝えてくれた。そして、「その考え、思いの根拠はなんなのか」ということが、とてもよく理解できた。ニュースの見方、時事問題の見方、などを教わった気がします。どうしても政治の話になると人は熱くなります。そして、攻撃的になる人々がいました。もちろん、攻撃的になる自分もいました。今もいるでしょう。そして、政治的な話をするだけで、ものすごい言葉で罵られたり、嫌な思いを重ねたりすることで、政治的な話は、しない方がいい。と思うようになりました。政治的な話=喧嘩・攻撃ぐらいの印象があります。実際政治を持ち出したブログや、掲示板は炎上してばっかりですし・・・政治的な話題を持ち出すことに恐怖すら怯えます。政治に関しては、自分の思ったことが出せない風潮というか、ださないに越したことはないという、恥ずかしながら、そんな感じです。でも、昨日の報道番組をみて、彼は、そういえば、ちがったなぁ と思いました。田原総一郎さんも昨日の番組に出ていたのですが、こうおっしゃっていました。「彼がね、生前、こういってたんだ。僕はあたたかな太陽だけれど、あなたは北風のようだね」って。笑ああ、ほんとそうだと思いました。田原さん自身がそう言っちゃっているのが、なんともおかしかったのですが^^;「僕は、あたたかく、温かく、相手を温めて、裸にする。きみは、がーーーって攻撃して脱がせようとするよね」と。同じような信念を持っている、そして、同じように、熱い思いを持っている、でも自分らしさをだしながら何かを伝えていくことってできるんだなぁ確かに、筑紫さんは、インタビューのさい、自分の意見と違うものがでても、それに対して、反対したり、攻撃したりすることはなかったなぁむしろ、それを楽しんでいたなぁ攻撃するのは、権力にたいしてだけだったなぁ今更ながらだけど、政治について論じる=喧嘩 じゃないんだなぁなんて、いまごろ気がついた。気づかされた。あんな風に芯を強く持ちながらも、温かく、優しくあれるものなのですね。喧嘩して勝った負けた言っているのではなく、そんな風になりたいと思った。そんな夜でした。いろいろなことを教えてくれてありがとうございました。感謝。ご冥福を心からお祈り申し上げます。